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海外の「見えない記者クラブ」~日本マスコミが知らない「五輪取材のインナーサークル」の実像

ジョージア・マフィアとオリンピック・ファミリー

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 所変われば品変わる。風習や文化に根付いた日本の記者クラブと同質の組織が欧米でもある。米国では地域コミュニティありきのジャーナリズムが発展してきたため、その内部での取材先と記者の関係がしばし問題となってきた。一方、欧州ではジャーナリズムは主にギルド組織として発展し、それが権力と結びついたサロン文化に取り込まれることもあった。

 前回の『「記者クラブはアメリカに存在しない」という都市伝説』に続いて、今回は筆者が知る米国南部の「ジョージア・マフィア」と、国際オリンピック委員会(IOC)や国際競技連盟(IF)の関係者が集まる「オリンピック・ファミリー」を例に取り、日本の記者クラブとは異なり、その存在自体が不透明で流動的な海外の「見えない記者クラブ」について話を進めたい。

 米国には日本の「閥」と同様のコミュニティが数多く存在する。応援するスポーツ・チームなどでつながる地域コミュニティ、フラタニティや学寮を中心にした大学コミュニティ、そして転職文化から来る「企業コミュニティ」などがある。筆者が在籍した米国企業では転職した社員を「アルムナイ(卒業生)」と呼び、「ネットワーキング」を促す定期的な集まりがあった。こうしたコミュニティが土台となって「見えない記者クラブ」が形成されることがある。

アトランタ Sean Pavone/Shutterstock.com

粗野だが心優しい米国南部人の「ジョージア・マフィア」の集まり

 米国は連邦政府と州政府がある多元政府国家として知られ、各州は日本の都道府県とはまったく異なる独立国家のようである。南北戦争の勝者である北部の「ヤンキー」にいまでも対抗意識を強く持つ「レヴェル(反逆者)」のジョージア州はこの典型例で、その内部のつながりは非常に眷顧だった。

 筆者が共同通信で1996年アトランタ五輪を取材していたころ、第39代米国大統領のジミー・カーター氏を神輿に担いだ、いわゆる「ジョージア・マフィア」と呼ばれる側近政治家らを中心に、州内に本社を置く大企業、有力な弁護士事務所や会計事務所、そしてこの地域で取材する一部のマスコミ記者が集まる「見えない記者クラブ」がアトランタ市内に実在した。こうした要人らは五輪開催で陰ひなたで密に関係していたことはいうまでもない。

 その「入会資格」は粗野だが心優しい南部人らしい独特のものだった。これについて見てみよう。

 米国では地域の有力者や企業が率先して資金を提供し、おそろいのTシャツを着て参加する週末の早朝ボランティアがよくある。地元の政治家であれば必ず参加する。筆者は大学院生時代から時たま参加していたが、こうしたイベントに毎回欠かさず参加するのが実はインナーサークル入会への道につながる。ここでは地域に対する愛着心を試されていたようだ。

 五輪取材をしていた最中、前職の上司から五輪にまつわるボランティア活動への誘いがあった。参加すると、新聞やテレビで見たような顔ぶれも多数いる。活動が終わるとその場で、ドーナッツとコーラが提供されるささやかな立食朝食会が開かれる。この活動に毎回参加していると、さまざまな人々と顔見知りになり、記者であれば情報網につながる。

スポーツ・バーのハッピー・アワーが「見えない記者クラブ」

 その後、元上司から地域の面々が集うハッピー・アワー(割引時間帯の飲み会)に誘われた。実はこれが日本の記者クラブで開かれる懇談みたいなものだ。カーター元大統領の研究所がある名門エモリー大学にほど近い学生街、リトル・ファイブ・ポインツにあるスポーツ・バーがその会場だった。

 ジョージア州の各界を代表する要人やメディアの記者が、南部名物の「レベル・イェル(反逆者の雄叫び)」といったバーボンやチキン・ウィングを楽しみながら、ヤンキーをなぎ倒す南部の大学やプロのスポーツ・チームの話題で盛り上がっていた。

 ここではアトランタに本拠地を置く大リーグのブレーブス、NFLのファルコンズ、そして市内で貧困層の少年向けにボクシングジムを開いていた世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリーフィールド選手の信者であることが絶対条件だった。米国南部ではスポーツのつながりが重視され、ヤンキーのチームを応援しようものなら、その場からつまみ出される。

 この場には日本のマスコミ記者は誰もいなかったが、大学ラグビー部出身の大手商社マンだけは時折顔を出していた。飲み屋の一角に集まっているだけなので、見ず知らずの呑んべいも飛び入り参加することもある。飲み代はすべて自腹だが、せいぜい2千円程度だった。

 日本では特ダネを取ろうとする場合、密室で一対一での取材を好むが、おおらかな土地柄か米国南部ではそうでもなかった。この愉快な空間が絶好の取材場所となる。音楽や歓声が響き渡る空間で、これら要人とサシで取材する機会など簡単に作れるのだ。

 この場では日本でありがちな集団的な懇談取材などない。記者それぞれが会場を回り、お目当ての情報源を掴んでは取材をする。記者が会場からスッといなくなると、なにかネタを掴んだ証拠だ。翌朝の新聞を開くと、その記者の署名記事が目に飛び込んでくる。「やられた」と地団駄を踏んだことは数え切れない。

Christopher V Jones/Shutterstock.com

根性論もある米国南部の「見えない記者クラブ」入会資格

 ただ、これで「見えない記者クラブ」に正式入会が認められたわけではない。南部人なりのしきたりがある。

 この場である要人から、「五輪マラソンと同じコースを走る『アトランタ・マラソン大会』に出てくれないか。五輪前に地域を盛り上げたい」と頼まれた。フルマラソンを完走する自信はなかったが、3ヶ月以上のトレーニングを重ねて備えた。当日、制限タイムぎりぎりでゴールラインに近づくと、筆者に「You’ve got it made (お前はやれる)!」と連呼する応援が聞こえてきた。倒れ込むようにフィニッシュできたが、日本のマスコミ記者では唯一だった。

 筆者を大声で支え、ゴールで迎えてくれたのが地元ジョージア大学の往年アメフト選手で、アトランタ五輪組織委のビリー・ペイン会長と、「ジョージア・マフィア」の切れ者と知られたJ.D.フレージャー事務総長だった。根性が試されるこの体育会的試練が洗礼だった。かくして、筆者は競合他社とは一線を画した両者への独占インタビューを取り付けることができたし、その他の取材やその準備でも様々な便宜を施してもらった。

 海外に駐在する日本のマスコミ記者でも、これと同じような「見えない記者クラブ」に入会を許された者は多数いる。ただ、これは独自で秘密の情報網であるため、口外することはまずないだろう。一方で、せっせと地元紙やAP電を翻訳している巣ごもり「特派員」はこの存在には気づかない。

 米国ではこうしたインナー・サークルを踏み台にアメリカン・ドリームを成し遂げる者も多い。元上司はその組織のトップにまで上り詰めたし、連邦政府や大企業の要職に就く者もいた。この「ジョージア・マフィア」つながりは帰国した後、山一証券の損失飛ばし事件や、金融商品や年金の時価会計への制度改革の取材でも大いに助けてもらった。

魑魅魍魎とした「オリンピック・ファミリー」

 東京五輪の招致や開催を巡る迷走ぶりを眺めていても、五輪取材はスポーツ分野というよりも、政治や経済、社会など幅広い分野にまたがることが分かる。東京五輪招致で石原慎太郎元都知事が嘆いたように、「オリンピック・ファミリー」は魑魅魍魎としたインナー・サークルだ。

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