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森喜朗元首相を尊大にさせた政治記者たち~「女性蔑視」発言は今に始まったことではない

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長による「女性蔑視」発言が、世界を駆け巡っている。日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議会という公の場での醜悪な発言に対し、男女や国の内外を問わず、激しい憤りが湧き上がっている。それにしても、森氏をここまで尊大にさせたものは、いったい何か。その1つには、森氏を長年にわたって取り囲んできた記者たち、とりわけ政治取材の悪い習慣、いわゆる“陋習”がある。

森氏の「子どもつくらない女性 税金で面倒はおかしい」発言

 2月3日のJOC臨時評議会で飛び出した森氏の発言は「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」「女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらない」という内容である。全容はすでに各メディアが報じており、ここでは繰り返さない。いずれにしろ、性別や人種などによる差別を固く禁じたオリンピック憲章に真っ向から反する暴言であり、批判が殺到したのは当然だろう。

 翌4日の釈明会見も内容に乏しく、それどころか、開き直りとも逆ギレとも思える発言が続き、SNS上では「辞任せよ」という声はさらに充満した。

記者会見に臨む東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長=2021年2月4日、東京都中央区

 よく知られているように、森氏のこうした発言は今に始まったことではない。

 今回の女性蔑視発言によってクローズアップされたのが、2003年6月26日に飛び出した発言である。当時の報道によると、森氏は鹿児島市で開かれた第19回全日本私立幼稚園連合会九州地区会設置者・園長研修大会に出席し、講演会などに臨んだ。森氏の立場はこのとき同PTA連合会会長だったが、2001年4月までは首相。一国のリーダーとして日本を引っ張っていく立場だった。

 会合では、少子化や子育てをテーマにしたシンポジウムも開かれている。司会はジャーナリストの田原総一朗氏。当時の報道によると、そのシンポジウムで森氏の問題発言は飛び出した。

 「言いにくいことだけど、少子化のいま議論だからいいますが、子どもをたくさんつくった女性が将来、国がご苦労さまでしたといって面倒を見るっちゅうのが本来の福祉です」

 シンポジウムには、当時現職の衆院議員だった太田誠一・元総務庁長官(自民党、福岡県)や地元・鹿児島県の保岡興治氏(故人)も参加し、森氏の発言に「そうそう」と相槌を打っていたという。そして、1000人を超える参加者を前に森氏はこう続けた。

 「ところが、子どもも一人もつくらない女性が、好き勝手とは言っちゃいかんけど、まさに自由を謳歌して楽しんで、年取って、税金で面倒見なさいちゅうのは、本当はおかしい」

 凄まじい女性蔑視である。ところが、筆者が新聞記事データベースの「G-Search」を使って「森喜朗」をキーワード検索したところ、この発言を翌日朝刊までに報じた新聞は1つもなかった。別のデータベース「ELNET」を使っても同様だ。

 この時点で、森氏は首相を離れて2年ほどしか経過していない。政界の実力者だったから、各社の政治記者も当然のように鹿児島に同行していたと思われる。それができていなくても、鹿児島支局・総局のメンバーが取材に出向いたはずである。それなのに、森発言は翌日の各紙に一切登場していない。

森氏の重大発言をスルー

 このときの森発言が問題視されるのは、5日後の7月1日、社民党の山内恵子衆院議員(当時)らが森氏に抗議文を出してからである。山内氏らは鹿児島での様子を伝えるテレビ番組で森発言を知ったらしい。

 発言の5日後まで森発言に全く触れなかった各紙は、山内氏らの抗議活動を伝える形で、この女性蔑視発言を初めて報じた。ただし、確認できた範囲では、ほとんどの記事が目立たたぬ扱いに終わっている。文字数は各紙ともおおむね300字前後。いわゆるベタ記事か、それに近い扱いだ。

 では、森氏の発言が飛び出したシンポジウムそのものも、新聞各紙は報じなかったのか。そんなことはなかった。催しに関する記事自体は掲載されている。ただし、力点が違った。実はこのシンポジウムでは、もう1つの重大な女性蔑視発言が行われていた。発言主は前掲の太田誠一氏。報道によると、太田氏は以下のように述べたとされる。もっとも、太田発言を報じた各紙も決して大きな扱いではない。シンポジウム翌日6月27日の産経新聞朝刊から全文を引こう(大阪本社版)。記事は社会面に掲載されている。

 イベント企画サークルメンバーの早大生らが女子大生を集団暴行した事件について、自民党の太田誠一元総務庁長官が二十六日、鹿児島市内のホテルで開かれた少子化問題などをめぐる討論会で、「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と述べた。集団暴行を肯定する発言とも受け取られかねない。
 討論会は、評論家の田原総一朗さんが司会を務め、森喜朗前首相らも参加。太田氏は少子化の原因を議論する中で「(男性に)プロポーズできる勇気がない人が多くなっている」と指摘。
 田原さんが「プロポーズできないから集団レイプする(のか)」と問い掛けたのに対し、「元気があるからいい」と応じ「そんなこと言っちゃ、また怒られるけど」と述べた。
 太田氏は討論会後、記者団に「『レイプは重大な犯罪で従来以上に厳しく罰せられないといけない』という言葉を付け加えようとしたが、時間とタイミングがなかった。残念だ。(一般的に)男性に元気がないということを強調した表現だった」と釈明した。

 森氏による「子どもつくらない女性 税金で面倒はおかしい」発言は、このレイプ容認発言も飛び出す中で行われていたのである。太田発言の出稿に追われて、森発言の記事をつくる余裕がなかったのか? そんなことはあるまい。手練れの記者なら、公の場での発言をマス目に落とし込んでいく執筆作業など30分もあれば十分だ。しかし、そうはならず、太田発言のほうを総じて地味な原稿に仕立てただけある。

 シンポジウム翌日、鹿児島県の地元紙・南日本新聞にはこの催しに関する記事が掲載されている。「少子化など議論、私立幼稚園九州地区大会/鹿児島市」という見出しを掲げた400字足らず。完全なイベント紹介の記事であり、森氏の発言に触れた記述は、以下の部分しかない。前後の記事から類推すれば、この取材はおそらく、地元での出来事やイベントをこまごまと伝えるニュースの1つとして企図され、中央政界での取材経験を持たない文化系の記者が現場に赴いたのではないかと思われる。

(前略)少子化問題について森前首相は「若い人の価値観が変わり、子どもを増やすための理屈が見つからない」と話した上で、社会保障費に対して少ない教育費の見直しと、幼保一元化によって、保護者により幅広い選択肢を準備する必要があることなどを強調した。(後略)

 結局、かいつまんで言えば、全国メディアの記者は森発言の重大さに気づかず、スルーしたということである。政治の記者やデスクなどにすれば、首相やその経験者とは夜の懇談などを通じて長い付き合いがあり、オフレコの場で数々の放言を聞いてきたはずだ。そうした文脈からすれば、鹿児島での森発言を聞いても、「いつもの調子だな」とか、「聴衆のウケを狙っての発言だなあ」とか、そんな程度の認識しか抱けなかったのだろうと思われる。

政治記者の姿勢は変わらず

 いずれにしても、2003年の森発言とその関連記事には、当時の政治とその取材状況が如実に映し出されている。だが、今になって当時の経緯を振り返れば、多くの人々は今更ながら愕然とするのではないか。女性蔑視などの問題発言に対する取材者の感度の鈍さや、政治の取材作法、その文化などは、今も変わっていないのではないか、と。

 東京五輪の大会組織委員長としての今回の森発言は、インターネットが浸透し、SNSのユーザーが相当数に達した現在だからこそ、瞬く間に国内外に拡散され、問題が急速に大きくなった。

 しかし、問題の急拡大は、政治記者の姿勢が変わったこととイコールではない。夜のオフレコを基軸とする、政治家との距離がかつてと大きく変わったことを意味しない。

 実際、今回最初に問題になった2月3日の発言についても、各紙は問題意識を全面に押し出したとは言い難かった。第一報となるはずの翌4日朝刊を見ると、例えば、朝日新聞は2社面トップで報じたものの、記事は約420文字と短く、問題を重層的に扱うに至っていない。

森氏の発言を伝える朝日新聞2月4日朝刊2社面の記事

 女性蔑視発言が表面化したとしても、「〜差別と受け取られかねない」「問題視されそうだ」といった、奥歯に物が挟まったような表現で“逃げ”を打つ。そうした姿勢は今も変わっていないのだ。

 森氏の問題発言と言えば、森氏の首相在任中、2000年に起きた「神の国」発言も必ずと言っていいほど引き合いに出される。五輪に絡んだ今回の発言に関連し、その「神の国」発言に触れる報道もあった。

 しかし、本当に思い出すべき事柄は「神の国」発言の内容そのものではなく、発言を巡って起きた“指南書事件”のほうではないか。「神の国」発言で窮地に追い込まれた森首相を助けるために、釈明会見に向けて、官邸記者クラブ詰めの放送局記者が「どうやって会見を無事に切り抜けてもらうか」という内閣広報官宛の“指南書”を作成していたという出来事である。

 これについては、「論座」の過去記事『官邸記者クラブで20年前に起きた「指南書事件」が問いかけるもの』で言及したので、ここでは詳しく記さないが、あの一連の事実はもっと知られていい。問題の“指南書”を入手して報道した西日本新聞が、官邸記者クラブ内で総スカンを食らった。同紙やTBSなど一部を除く大半の報道機関は指南書事件を報じなかった。“指南書”の作成者が大きな咎めを受けた様子はない。そうした事柄を許容してきた政治取材文化がその後も連綿と続いていることも、もっと人々の間に浸透してよい。

 森氏をここまで尊大にさせた背景には、こうした政治取材の陋習がある。政治記者が政治家に密着するのは、「いざという時に刃を抜き、権力監視の役割を果たすためだ」と言われた時代がある。それはもう、遠い昔話の類になったのか。

 政治取材の在り方は真剣に改革されることなく、陋習をひきずったまま、時を重ねた。今では、首相の記者会見ひとつとっても、事前に質問が官邸側に通告され、首相はあらかじめ用意されたペーパーを読み上げるだけだ。そんな風景の繰り返しに、国民はもう、心底、うんざりしている。

 取材の現場にいる記者やその後ろに陣取る各社幹部には、そうした声は響かないのだろうか。それとも、「これが政治取材のプロのやり方」として、現在も今後も陋習にしがみつくのだろうか。