メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

脳しんとうの危険性を再認識し、ルールで選手を守るJリーグ新シーズンに

子どもたちのスポーツの現場、指導者、保護者にも大切なメッセージを

増島みどり スポーツライター

Jリーグ〝開幕戦〟でテストされた6人目の交代試行ルール

 コロナ禍で迎える2シーズン目を前にした2月20日、「富士ゼロックス杯」が埼玉スタジアムで行われた。昨季、圧倒的な強さで優勝した川崎フロンターレと、元日の天皇杯で川崎に敗れたガンバ大坂の一戦は、後半同点にもつれ込んだ。2-2の同点でプレーの激しさも増した後半40分、川崎のMF・塚川考輝が味方DF・ジェジエウと空中で衝突。頭を打ったものの、起き上がったためプレーは続いたが、コーナーキックの際、主審が試合を中断しドクターチェックが入った結果、車屋紳太郎と交代した。

 この時「あれ?」と一瞬首をかしげたファンもいたのではないか。交代はここで従来の5人からも多い6人目だったからだ。

 試合は、川崎がアディショナルタイムでG大坂を振り切り(3-2)シーズンを占う試合になったのと同時に、ある重要な「テスト」にもなった。

 Jリーグは今季から、昨夏、コロナ禍で認められた5人の交代に加え、さらに1人、脳しんとうの疑いがある選手を交代できる試行ルールを導入する。サッカーのルールを決める国際機関、IFAB(国際サッカー評議会)が長く議論を続けてきた問題について各国に通達した。従来も、試合中の脳しんとうには選手を動かさず、ピッチで3分をかけて診断する取り決めはあった。今回、IFABとFIFA(国際サッカー連盟)が選手の安全に、より踏み込んだ対策を世界中に投げかけた形だ。日本サッカー協会は、「6人交代」と、脳しんとうに「2人交代を認め、相手チームには理由を問わず同人数交代を認める」という2案のうち、6人交代を申請。ゼロックス杯は、その試行第一ケースとして選手、審判、ファンにもその危険性を周知する重要な場面となった。

 移籍したばかりの塚川は「自分をアピールしなければ」との強い思いで、自身は症状を感じないほど集中していたのかもしれない。しかしチームメイトが異変を察知する機転を利かせ、幸い大事には至らなかった。

拡大富士ゼロックス・スーパーカップの川崎フロンターレ対ガンバ大阪戦=2021年2月20日、埼玉スタジアム

Jリーグではケガの20%が脳しんとう、その約半数がプレーを続けていたリスク

 今年1月に行われた日本サッカー協会理事会では、脳しんとうについて改めて危機感を共有する報告が出されている。

 1月、サッカー協会医学委員会の池田浩委員長(順大医学部整形外科)から、毎年Jリーグが報告している全体のケガのうち、脳しんとうとして疑われるものを含め全体の20%を占めるとの具体的なデータが提供された。さらにその約半数で結果的に選手が試合を続行してしまったという。

 説明にあたった須原清貴専務理事は、「筋肉系や骨のケガではプレー継続は無理だが、脳しんとうの場合は、(一時的に)プレーできてしまう場合もある。実際には選手の生命に関わる。FIFA、IFABが主導権を持って(対応策を)用意してくれた」と話す。

 IFABとFIFAがこれほど早急に、交代ルール改正をも視野に各国への通達をした背景には、国際的な舞台で続く重大な事案があったと考えられる。

 森保一監督のもと日本代表が準優勝した19年1月のアジアカップ準々決勝、オーストラリアと対戦した開催国UAEのDF・ジュマは、ボールをクリアした際、相手FWと頭をぶつけ双方がピッチに倒れ込んだ。この時点で(当時の)UAEはすでに交代枠3は使っていたため、ジュマは10人になるのを拒んでピッチに戻った。直後、ボールをクリアしようとした際に体のバランスを大きく崩し意識を失ったまま倒れ込んだ様子は、日本のサッカーファンにも衝撃を与えた。

 昨年11月に行われたイングランド、プレミアリーグのアーセナル対ウルヴァーハンプトン戦でも、アーセナルのブラジル代表DFルイスと衝突した相手チームのR・ヒメネス(メキシコ代表FW)が頭蓋骨を骨折。緊急手術を行い、D・ルイスも額からの出血で交代した。

 昨年12月、母国ベルギーのメディアに告白したある選手の証言は、こうしたルール変更への流れをさらに加速させたと言われる。

 同国代表のヤン・フェルトンゲン(ベンフィカ)は、19年4月に行われた欧州チャンピオンズリーグ準決勝でオランダのアヤックスGKと交錯した際、頭部を打った。鼻のあたりを負傷したため治療を受けてピッチに戻ったが、すぐに選手たちに抱え込まれて退場。19年4月以降、約9カ月にも渡って、深刻な後遺症に苦しんだと明かした。

 「ひどいめまいと頭痛に苦しんだ。試合中の負傷は鼻のあたりだったが、絶対にピッチに戻るべきではなかったと、後でドクターに言われたのを、後悔している」(ベルギーのスポーツメディア『Sporza』のインタビュー)と、当時所属していたイングランドのトットナムでの立場を失いたくなかったために無理をしてしまった、と話す。20年になって少しずつ症状が改善し、昨夏にポルトガルのベンフィカに移籍するまでに回復した。後遺症が、実際にはここまで長期間に渡るケースを広く認識させた事案となった。

 世界的には試行ルールを導入するリーグはまだ多くないが、日本は、トップだけではなく、子供たちや女子、グラスルーツ(草の根)の愛好家たちの安全を確保するためにも早い導入に踏み切った。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

増島みどりの記事

もっと見る