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オフレコ懇談の「罠」にメディアはどう向き合うか

[3]「菅氏が沖縄2紙と懐柔密会」報道のメッセージ

阿部岳 沖縄タイムス記者

福島と沖縄――国家の繁栄のために原発と基地という迷惑施設を押しつけられている「苦渋の地」で今、何が起きているのか。政府や行政を監視する役割を担うメディアは、その機能を果たしているのか。権力におもねらない現地在住の2人の新聞記者が「ジャーナリズムの現場」をリレーエッセーで綴ります。

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 同僚が「フライデー」された。強烈な脅し。あの日、菅義偉という人物の恐ろしさを思い知った。

 「スクープ撮 菅官房長官が『沖縄タイムス』『琉球新報』と“懐柔密会”」。2015年6月12日発売の週刊誌フライデーに、こんな見出しが躍った。オフレコ懇談を終え、満足そうな表情で引き揚げる菅氏、それを折り目正しいお辞儀で見送る同僚、という写真が大判で使われていた。

フライデー2015年06月26日号「フライデー」2015年6月26日号
 この頃、菅氏は沖縄に仕掛けようとしていた。2カ月前、拒絶し続けてきた翁長雄志知事との会談に初めて応じ、辺野古新基地建設について談判した。沖縄2紙に懇談を持ち掛けたのも、建設推進に向けた硬軟両様の工作の一環だった。

 会場はホテルニューオータニのバー。2紙の東京駐在記者3人ずつ、全6人が個室に集まった。向き合った菅氏は基地問題や経済振興を語った。特段驚くような話はなかったという。フライデーの記事は匿名の「官邸スタッフ」の話を引用し、基地問題を巡る菅氏の狙いを解説した。「『抵抗』をつづける地元2紙に腹をくくらせるという意味があったと思います」。

 だが、真の「意味」はむしろ、オフレコ懇談の4日後にこの記事が載ったこと自体に込められていたはずだ。予定を知っていたのは当然ながら菅氏側と沖縄2紙だけ。そして2紙にはフライデーに漏らすメリットも動機もない。菅氏側が情報提供した可能性が極めて高い。

 オフ懇に勢ぞろいし、菅氏に頭を下げる記者。それが一度きりの機会だったとしても、掲載された写真は沖縄2紙もまた権力のインナーサークルにいる、と見る者に印象づける。「日頃権力に厳しいポーズを取っていても、所詮はお仲間なんでしょ」と考えた人もいただろう。

 菅氏側の明確なメッセージを、私は感じずにはいられなかった。「お前たちの言動はいつでもさらせるぞ」。そのために忙しいスケジュールを縫ってわざわざ「罠」を仕掛け、同僚たちを招き入れたのか。フライデーの記事を見て、底知れぬ闇をのぞいたように思った。

「おれがやると言ったらやるんだよ」

 私は社会部や出先で基地問題の現場取材ばかりしてきた。菅氏を直接取材した経験はほとんどない。しかし、菅氏が次々に繰り出す強行策とは直接向き合ってきた。新基地建設が進む名護市辺野古の海で、ヘリパッドが建設された東村高江の森で。第2次安倍政権の7年8カ月、菅氏は官房長官として、うち6年は兼務の「沖縄基地負担軽減担当相」として、沖縄政策全般を取り仕切った。沖縄から見ると、安倍政権というのは実質的に「菅政権」だった。

 菅氏にとって、「負担軽減」とは辺野古新基地を建設し、普天間飛行場を返還することを指す。沖縄政策の全てが辺野古推進という大方針に合うかどうかで決まった。経済政策も例外ではない。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のテーマパーク誘致を後押ししたのには、新基地建設を承認してくれた仲井真弘多知事の3選に向けた目玉にする狙いがあった(USJはその後沖縄進出を断念)。新基地反対を公約した翁長氏が仲井真氏を破って知事に就任した2014年12月以降は一転、徹底して冷遇した。

 2015年11月、機動隊員100人を東京から辺野古に送り込み、市民の抵抗を強制排除して新基地建設工事を加速させた。2016年3月、政府と県の訴訟が和解して辺野古が一時休戦になると、余力が生まれた。その力を停滞していた高江ヘリパッド建設に振り向け、一気呵成(かせい)に仕上げにかかった。本土6都府県から投入した機動隊員は辺野古の5倍、500人に膨らんだ。翁長氏の支持勢力は辺野古反対の一点共闘で、高江ヘリパッドは容認と反対に割れていた。菅氏には、翁長氏の足元を掘り崩す狙いがあった。

 2016年10月8日、高江の路上から、私は迷彩塗装の自衛隊ヘリを見上げた。菅氏が現場視察に訪れたのだ。機体は2度旋回して、森の向こうに消えた。地べたから抗議していた男性は「県民と機動隊にせめぎ合いをさせている張本人が、空から見て終わりか」と怒った。

 視察を終えた菅氏は、

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