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「政治の失敗」が招いた専門学校生5人の宿泊拒否

取り繕いのためにさらに差別的な政策を繰り出す自民党

赤木智弘 フリーライター

 福岡県のホテルが専門学校生5人の宿泊を拒否していたことが明らかになった。5人は寮で暮らしていたが、その寮で新型コロナウイルスの感染者1人が確認された。学校が寮を閉鎖したために5人は一時的にホテルに宿泊。数日後延泊を申し入れたが寮で新型コロナ感染の可能性があることを理由に延泊を拒否されたという(西日本新聞「「寮に感染者」学生5人宿泊拒否 福岡のホテル」2021年2月24日)。

 旅館業法第5条1号によると、「宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかつていると明らかに認められるとき」を除いては宿泊を拒んではならないとされている。

 この寮生5人は保健所から新型コロナ感染者との濃厚接触者として認められず、PCR検査なども受けていないことから、明らかに新型コロナウイルスに感染しているとは認められず、宿泊拒否は旅館業法違反であると考えられる。

宿泊拒否とハンセン病元患者差別

拡大宿泊拒否問題で元患者の入所者自治会長の太田明さん(左)に謝罪、頭を下げるホテルの江口忠雄社長(中央)=2003年12月20日、熊本県合志町の恵楓園

 さて、この件に関するニュース記事を見ていると「ハンセン病元患者宿泊拒否問題を思い起こさせる」という論旨識者のコメントがあった。

 実は今回の新型コロナにおける一時隔離を「ハンセン病患者に対する隔離」と同じようなものだと見なす発言というのは、いくつかちらほら確認している。だが、それに対して僕はずっと「単純に並べることはできないのではないか」と思っていたので、この機会に理由を述べてみたい。

 ハンセン病元患者宿泊拒否問題とは何か。

 2003年にハンセン病療養所の元患者らが団体での宿泊の予約をしたが、後日ホテルから「他の宿泊客への迷惑」を理由として、宿泊をしないように申し入れがあったという問題である。

 ハンセン病はかつては他人にうつる不治の病であるとされ、感染者とその家族は社会的に孤立させられた。行政は「予防」の名の下に感染者を強制隔離し、社会から遠ざけた。

 1940年代に治療薬が開発され、不治の病は「治る病気」となり、さらに1990年頃からは「ほとんど後遺症を残さずに治る病気」となり、多くの患者が治療されて元患者となった。また日本においては公衆衛生が著しく向上したため、新規感染者もほとんど現れておらず、問題のあった2003年時点でも年に1桁数。現在では年に1人か0人が報告されるという状況である。

 しかし、元患者たちを隔離し続ける法的根拠となった「らい予防法」が廃止されたのは1996年になって、ようやくのことであった。

 ハンセン病患者たちは病気にかかっているときはもちろん、病気が治ってもなお法の壁によって長年にわたって隔離され続けた。つまり、医学的には彼らの病気は治っており、感染の危険性などは一切なかったのに、法を廃止しないという政治的な理由で隔離され続けたのである。

 一方で新型コロナでの「隔離」は「14日程度」と極めて限定的であり、らい防止法が廃止されるまで何十年も法的に隔離され続けた元患者たちの境遇とは著しく異なっている。

 また、14日程度という日数も、新型コロナは病状の発症前から感染力を有し、発症後10日程度で感染力がほとんど無くなっているという医学的見地によるものであり、医学的見地を無視され、政治的理由で隔離され続けた元患者たちとは真逆なのである。

 そうした意味で、単純に今回の宿泊拒否とハンセン病元患者に対する宿泊拒否を並べることはできないと感じている。では今回「宿泊拒否」にあった専門学校生たちと、ハンセン病元患者達の境遇がまったく異なるか。同じ部分がまったくないのかと言えば、そうではない。

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筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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