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東京五輪は誰も「やめる」と言えないチキンレース~沈黙する関係者・メディア

背景にアスリートや国民そっちのけの自己保身。問われるメディアの姿勢

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

 7月23日開催予定の東京五輪は秒読み段階に入った。東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子・新会長ら関係者は五輪完遂を言明するが、開催半年前の1月下旬に実施した朝日新聞の世論調査では、再延期もしくは中止と答えた人が86%にのぼった(参照)。

 国民の大多数が再延期・中止やむなしと考えるなか、本当に開催ができるのか。IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長や菅義偉首相、小池百合子・東京都知事ら決定にからむ関係者の本音はどこにあるのだろうか。

就任のあいさつをする東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長=2021年2月19日、東京都中央区

誰もババを引きたくない

 プランA(開催完遂)とプランB(代替案)のシナリオは、官僚らの手によって進められていよう。「復興五輪」「コロナに打ち勝った証し」といった美辞麗句をよそに、いかに政治的、経済的な損害を抑えられるのか、ダメージコントロールの領域に入っている。

 開催を強行したとして、選手村で大規模なクラスター(患者集団)が発生したらどうするのか。国内の医療態勢は逼迫(ひっぱく)している。そもそも世界各地から選手団が来日してくれるのだろうか。数カ月後のコロナの感染状況を正確にいいあてる科学者がどこにいるのか。ふつうに考えて、再延期・中止する方がリスクは少ない。

 だが、キーマンたちは誰もそれを口にしない。最初に「やめる」といい、流れを作った人物が、後々まで責任を負わされる可能性があるからだ。ジョーカーを引いて割をくいたくないという、アスリートや国民そっちのけの自己保身が背景にある。チキンレース化しているのだ。

 先の大戦の末期を思い起こしてほしい。戦争を終結しなければ日本は廃墟になると分かっていても、責任ある立場の政治家や軍人、官僚らは決してそれを口にしなかった。「国賊」にされるというババ(貧乏くじ)を引きたくなかったのである。塗炭の苦しみにあえぐ国民は顧みられなかった。

「五輪完遂」体制に組み込まれるメディア

 五輪開催の可否はIOCに決定権があるが、そもそもIOCに資金力はなく、「雇われママ」のようなバッハ会長がリーダーシップをとるとは思えない。とどのつまりは大口スポンサーの意向が働く。いまの五輪は、米国のテレビ局、具体的にはNBCテレビが支払う莫大な放映権料と、米国の世界的な企業が出すスポンサー料に支配されている。

 後藤逸郎著『オリンピック・マネー』によると、2013年~16年のIOCの総収入は57億ドル(約6000億円)で、うち約70%が放映権料だ。このため、五輪の開催時期も競技時間帯も、万事がNBCテレビの都合で決まる。本来は気候のいい春か秋の開催がいいのだが、夏の高温多湿のなかでアスリートが競技を強いられるのはそのためだ。

昨秋来日し国立競技場を視察したIOCのバッハ会長=2020年11月17日、東京都新宿区

 マスメディアはこのような商業化五輪に対し、小さな疑問を呈することはあるが、基本的に追認し、国威発揚といえるメダル争奪戦に紙面や放送枠を裂いてきた。今回のコロナ禍の五輪についても、報道は、「五輪完遂」体制に組み込まれ、五輪再延期・中止を唱えようとはしない。朝日や読売新聞などの大手メディアは、東京五輪オフィシャルパートナーで、マスメディアもチキンレースをしているかのようだ。

 “大本営発表”を垂れ流すだけが、報道のありようではない。戦前の1940年、神武紀元(皇紀)2600年にあたる年に予定された東京五輪の光景がよみがえるかのようだ。戦争で中止になったが、当時、主流メディアであった新聞、雑誌は国家総動員体制のもと、国威発揚に邁進した。

 五輪報道をめぐる構図は、現代も戦前も変わらないということか。

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