現在の福島では甲状腺検査を継続することは正当化されない
見直しを行わない「不作為」がもたらすもの
緑川早苗 宮城学院女子大学教授/POFF(ぽーぽいフレンズふくしま)共同代表
福島県民健康調査の甲状腺検査は、原発事故後の放射線の健康影響を懸念する住民の健康の見守りとして2011年10月から開始され、事故当時おおむね18歳以下であった全福島県民を対象として、超音波検査によるがん検診が継続されている。多い人ですでに5回目の検査を終えていることになる。
福島では推奨されないがん検診が継続されている

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甲状腺がんの超音波を用いた検診に対する世界の認識は、検査開始後に出されたものではあるが、2017年のUSPSTF(米国予防専門委員会)による「症状のない成人に対して超音波による甲状腺がんスクリーニングは行わないことが推奨される」という勧告(注1)に代表される。さらにそれは2018年には世界保健機関(WHO)の外部組織IARC(国際がん研究機関)から、原発事故後であっても推奨しないとする提言が出された(注2)。
米国予防専門委員会による勧告は成人を対象としているが、子どもでも基本的には変わらない。むしろ、スクリーニングが推奨されない主な理由が後述する過剰診断の不利益であるから、若年であればあるほどその不利益を被る期間が長くなることになる。それを考えれば、大人で推奨されないのであれば、子どもではより推奨されないと考えるべきであろう。
勧告はエビデンスに基づいて出されたものであるが、子どもの甲状腺がんが少ないことから根拠とするエビデンスが不十分であるため、2017年には勧告が適応されなかった。しかしごく最近、子どもや思春期にもこの勧告を適応すべきだとする論文が出されている(注3)。
超音波を用いた甲状腺がんスクリーニングが推奨されない理由は過剰診断による不利益(害)が非常に大きいからである。それは現在では世界の科学者の間では共通認識であろう。過剰診断とは、一生症状は出ず、命にもかかわらない病気を検診によって診断してしまうことである。後述するが、がんはその種類によっては早期発見早期治療が必ずしも患者のメリットにつながらないことが分かっており、甲状腺がんは、そうしたがんの代表である。
にもかかわらず、福島では甲状腺検査という子どもや若年者を対象にした超音波による甲状腺がん検診が継続されている。しかも多くの住民はいまだ過剰診断の不利益を知らずに検査を受けている。平均して毎日、数百人の検査が行われており、一定の確率で甲状腺がんが発見され、それらは放射線の影響とは考えにくく、かなりの過剰診断が含まれることが報告されている(注4)。
なぜ推奨されない検査が、福島で継続されているのだろうか? 一度始めた検査が変えられないのはなぜか、震災後甲状腺検査の担当者として携わった一人の内分泌内科医としての反省から、また現場からの改善の提案が様々な「不作為」の壁に阻まれた経験から、本稿ではその「不作為」に焦点をあてて考えてみる。甲状腺検査の課題の全体像を詳しく知りたい方は、拙著「みちしるべ」(注5)ご覧いただければ幸いである。
見守りの裏にある不作為
検査の実施主体である福島県や検査を受託している福島県立医大は、甲状腺検査が健康の「見守り」であるとしている。放射線の健康影響を心配された方が受診して異常がなければ安心できることを、検査のメリットと説明している(注6)。
しかし、この検査で分かることは「放射線の健康影響があったかなかったか」ではない。単に甲状腺に結節性病変(しこり)があるかないかという結果が分かるのみである。その後にどんな精密検査を受けても、そのしこり(場合によっては甲状腺がん)が放射線のせいでできたのかどうかは個人のレベルでは分からないし、検査が「異常なし」であったとしても、「放射線の影響がない」ということとイコールではない。このことを多くの受診者やその家族は知らない。
筆者は福島県内の公共施設等で実施される一般会場で甲状腺検査を受けた人に、結果を説明する業務を長く担当していたが、多くの受診者は甲状腺超音波検査の結果が大丈夫だということを知ると、安心して放射線の影響はなかったと考えるように見受けられた。安心した人に、「放射線の影響が出ていないという意味ではない」ことを説明することは、安心に水を差すことになるので、多くの説明者は質問されなければこのことについては触れることができない場合が多い。
しかし、この誤解を前提とした安心を検査のメリットとして提示し、「真実を伝えない不作為」は、時に大きな不安の種となったり、リスク認知への影響をもたらす。なぜなら、たとえ病的なものでなくても何らかの所見があった時には、その結果を被ばくの影響と受け取ってしまうことと表裏一体であるからである。さらに甲状腺がんがたくさん発見されている原因を放射線の影響と受け取ることにもつながる。検査を実施する側が、このような誤解を奇貨として、安心を理由に検査を正当化しようとすることには強い違和感を持っている。