Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【1】
2021年03月25日
2021年1月5日、福岡市は行政手続きのオンライン化に向け制度設計プロジェクトのメンバーが決定したことを発表した。その中に見覚えのある名前があった。
西村博之氏、元2ちゃんねるの管理人である。福岡市のプレスリリースは、西村氏が役員を務める元2ちゃんねる関係会社である未来検索ブラジル社の取締役との肩書がつけられていた。
私は少し驚いた。数々の2ちゃんねるの訴訟とそれに敗訴した損害賠償金の未払いや、アンダーグラウンドで有名なサイトの管理人が、政令指定都市の行政のプロジェクトメンバーなのである。西村氏は、かつてカドカワグループの会社の取締役なども務めたこともあるだが、あれはあくまでも私企業の話である。ちょっと例えるならば、エドワード・スノーデンやジュリアン・アサンジが政府の仕事をするようなものである。
「西村氏の過去については承知しております。ただ今回は職員として採用したわけでもありませんので・・・」と、筆者の問い合わせに福岡市の担当者は歯切れが悪い。
「例えば受託した仕事で何か福岡市に損害を与えるようなことがして、西村氏に損害賠償責任が発生したときも、西村さんの過去の発言のように『時効まで逃げ切る』となるかもしれないですよ」との質問には、「契約もしてありますので・・・」と答えにならない回答をいただいた。契約だろうと判決があろうと時効まで逃げ切れば支払わないで済むと常々豪語してきたのが西村氏である。
「それでは・・・」ともうひとつの質問をぶつけてみた。
「西村さんは、現在アメリカで『4chan』という匿名掲示板を経営されています。このサイトはアメリカで社会問題になってきた匿名掲示板です。『Qアノン』はご存じですか? これは西村さんの運営されるサイトから出てきたものです。かつて西村さんとご一緒に仕事をされてきた2ちゃんねる(現在名称は「5ちゃんねる」)の経営者は、匿名掲示板の問題でアメリカ連邦議会公聴会に召喚されました。西村さんもそうなることがあるかもしれませんが、福岡市でも大丈夫ですか?」
一般的な西村氏の経歴は知っているが、そこまでは知らないと、福岡市の担当者は言う。日本ではほとんど報じられないので、無理もないだろう。
アメリカにモンスターが現れ、街を破壊し人々を混乱に陥れている。そのモンスターは全米をくまなく横断し、ついにはワシントンに現れ連邦議事堂を襲撃した。ジョー・バイデンの大統領の就任を正式に認定するアメリカ合衆国連邦議会が、根拠のないゆがんだ陰謀論を信じてしまった人たちによって襲撃された。現在のアメリカの病巣はここで露わになった。連邦議事堂に侵入するネット発の陰謀論に染まった暴徒の群れの襲撃は、まるでパニック映画のようですらあった。しかし現実である。
ところで、このアメリカを襲撃している陰謀論のモンスターが実は日本と強い関係があると知るものはそんなに多くないようだ。
今世界を騒がせる「Qアノン」も、議事堂襲撃にまで及んだ白人至上主義やネオナチが跋扈する情況も、それを目覚めさせしてしまったのは、実は日本発のある文化が密接に関与している。
それは日本の匿名掲示板カルチャーである。アメリカではそれを「CHANカルチャー」と呼ぶものもいる。
これより、日本の匿名掲示板カルチャーがアメリカにわたり、連邦襲撃事件に至るアメリカの過激主義を培養し、アメリカのパンドラの箱を開いてしまった姿を追って行こうと思う。そしてそれは、言論の自由をめぐる社会実験の失敗の記録でもある。
このアメリカのパンドラの箱の物語の主要な登場人物は2人いる。まずは、元2ちゃんねる管理人の「ひろゆき」こと西村博之氏。現在アメリカ最大の匿名掲示板のひとつである「4chan」のオーナーである。西村氏が管理する4chanはオルタナ右翼の発祥の地と目されるばかりか、Qアノンが最初に現れた掲示板である。
2人目は、ジム・ワトキンス氏。西村氏とともに2ちゃんねるを運営し、現在はその2ちゃんねる(現「5ちゃんねる」)を乗っ取りオーナーになった男である。いや、それだけではない、アメリカのもっともダークな匿名掲示板「8kun」のオーナーにして、Qアノンの「Q」はこの男ではないかと嫌疑をかけられている男。現在、世界中のジャーナリストと陰謀論研究家は彼の行方を追っている。
なおアメリカで、連邦議事堂襲撃事件のきっかけのひとつとなった「ドミニオン疑惑」といわれる選挙集計機に不正があったとする荒唐無稽に近い陰謀論が最初にメディアに出たのは、ジム氏の息子、札幌在住のロン・ワトキンス氏から始まっている。彼が極右のテレビ番組で、ベネズエラのウーゴ・チャベスなどの共産主義者がかかわっていたドミニオン投票システムにより、不正が行われたともっともらしく主張した。彼はもちろん日本にいるためにドミニオン投票システムの実際の集計機を見たこともない。ネットにあるユーザーガイドを見ただけである。そんなまったく空想の域をでないドミニオン疑惑の陰謀説が広まったのは、ロンが日本からテレビ番組にリモートで出演したのがきっかけなのである。つまりドミニオン疑惑が世に流布されたのは日本からなのである(注1)。
Qアノンと陰謀論のモンスターは、まるでパニック映画『クローバーフィールド』(2008)の怪獣のようだ。『ゴジラ』へのオマージュに満ちたこの映画では、マンハッタンを襲い荒れ狂う怪獣が、ストーリーでは直接言及されないものの、実は日本の企業によって生み出されたものという伏線が至る所に張られている。映画は伏線は回収されないまま謎めいた終わりを告げる。私たちは、この映画では明かされなかった日本とモンスターの関係を探ろう。Qアノンやアメリカ連邦議事堂襲撃にいたる数々の陰謀論に日本がどのような決定的ともいえる役割を果たしたのか。そのために、まずは1999年にさかのぼろう。
ネットにアクセスして情報を得ている人で、2ちゃんねるを知らない人は少ないだろう。その2ちゃんねるは、後述するように現在では、経営をめぐる西村氏とジム氏の内紛により分裂し、現在は2ちゃんねるは『5ちゃんねる』と名前を変えている。
1999年に中央大学文学部の学生だった西村氏によってあるWEB掲示板が開設された。「あめぞう掲示板」というアンダーグラウンドな人気掲示板のコンセプトとプログラムをそのまま流用してできたのが2ちゃんねるである。
2ちゃんねるが人気サイトとなったのは、シンプルなテキストだけの掲示板とスレッドフロー型という書き込み表示の仕方もあったが、なによりも完全匿名のアングラサイトであることを売りにしてきたことだった。
完全匿名ゆえに身元も何もなく気軽に書き込める。権威や肩書も関係なく、そこに書き込まれる情報のみが尊ばれる。どんな人間でも匿名であるがゆえに、ある種の平等感、疑似デモクラシーな雰囲気もそこにはあった。貴重な情報や議論も中にはあった。一方で匿名ゆえに暴言も許されるし、実社会では決して許されることがないような本音も書き込める。これを識者はコミュニケーションやメディアの在り方として画期的なものとして持ち上げた。もちろんそこには副作用もある。それは激しすぎた。
匿名掲示板には、いわば主語がない。誰だかわからない主体が跋扈し、暗闇のなかで自分や相手の正体を隠したままコミュニケーションが行われる。その目隠しされた状態のままユーザーは抑圧されていた無意識を解放するかのように、このネットメディアを楽しんだ。同時に、そこは足のつかない情報発信コミュニティともなった。犯罪や差別、誹謗中傷や嫌がらせ、個人情報の暴露から営業妨害、自殺予告、薬物の販売、まで、ありとあらゆるダークサイドの情報が掲示板には書き連ねられた。90年代からサブカルチャーの世界から浸食してきた差別や歴史修正主義もこの暗闇のなかで合流した。「ネット右翼」という存在は、2ちゃんねるの存在抜きでは語ることはできないはずだ。
そんなアンダーグラウンドな掲示板を、新しいネットのありかたとして広めた、2ちゃんねる管理人の西村氏がいわば「アンチヒーロー」として新しいサブカルチャーの旗手のように評価され
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