メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

記者クラブメディアは、なぜ「文春砲」に勝てないか~才能の墓場と化した記者クラブの光景

経済事件の本質よりもスキャンダリズムに集中する質問

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 かつて記者クラブは新人記者の修行場といわれ、そこでの経験はオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)の典型例と言われてきた。取材の方法や記事の書き方の基本を先輩記者や同業他社の記者から学び、盗み取りながら一人前の記者に育っていく場であったという。

 今はもう、この古き良き時代の記者クラブは無い。新人記者には一歩立ち止まって考えたり、専門書を読んだりする時間も無ければ、記者クラブのソファーでビールでも片手に先輩記者の説教を聞かされることも無くなった。

実践的な競争力が身につかない

 新聞社や通信社に入社してくる新人記者は地頭もよく、意欲も行動力もある優秀な者が多い。最新のIT知識技術もすぐに吸収できる。ただ、こうした希望に溢れた前途ある若い記者が記者会見の「文字起こし」のようなやっつけ仕事をこなしつつ、夜討ち朝駆け取材というチキンゲームのようなノルマに追われる。しかもここから生まれる記事のほとんどは短い定型文だ。こんな記事だけなら、大学生でも1カ月研修を受ければ書ける。

Abscent/shutterstock.com拡大Abscent/shutterstock.com

 記者クラブでは現場取材の技術と取材に必要な最低限の断片的な知識は身につくが、全体を俯瞰でき、なおかつ実践に即応できるコンピテンス(実践的競争力) に結びつくことはない。こうした状況を危惧して、朝日新聞社は「ジャーナリスト学校」を設置して記者教育に力を入れているようだが、筆者の耳に入ってくる現場記者からの評価は芳しいとはいえない。それでも朝日のような報道機関はまだまれで、そのほとんどは経済的にも、人的資源的にもこうした研修機関を設けるのは難しい。一方で、一部の国内大学にあるジャーナリスト養成教育が機能しているともいえない。

 IT革命でネット・メディアが台頭する中、マスコミ業界全体の収益が落ち込み始めた当時から、記者クラブに所属する若手の記者の危機感は相当なものだった。記者クラブ内の生ぬるい連帯意識と内向きな思考が染みつくと、「泥舟に乗った社畜」に落ちぶれていくことを痛いほど理解していた。

 ある日、朝日新聞の若手記者が自社の財務諸表を手に、「ぼくの年金、ちゃんとあるのでしょうか。会社は大丈夫なのでしょうか」と筆者にその読み方を聞きに来た。その記者は退職給付の予定利率やDEレシオといった専門用語の解釈までも必死になって学ぼうとしていた。取材に生かせるだけでなく、自分自身の将来に関わることだからだ。

なぜ「文春砲」が特ダネを連発するのか

 この世界に5年も身を置けば、最新の知識など吸収しようにもできず、思考力や判断力も身につかないまま、マスコミ業界だけしか見えない視野狭窄に陥る。この業界の常識が世間様の非常識だと気づいたときにはもう手遅れだ。昨今、業績不振で若手を含めて記者の転職希望者が溢れるが、これが転職難につながっている。マスコミの逃げ切り世代幹部が長年放置してきた人材育成の改革のつけを、現場記者が支払っているという構図だ。

 これは昨今の「文春砲」からも見て取れる。記者クラブに属さない雑誌記者やフリーランスが特ダネを連発している。自らテーマを探して企画をし、組織の看板に頼らずアポを入れ、文献調査しながら取材して、長くても読ませる記事に仕上げる。これらジャーナリズム実践の一連の基本作法を個人で孤独に、しかも愚直に繰り返した結果といえる。記者クラブはかつての「記者修行の学校」から「才能の墓場」へと変わり果ててしまった。

 記者クラブでの業務というと一般的には記者会見や報道発表の記事の編集、夜討ち朝駆けの取材と日々時間に追われる激務というイメージがある。確かにこのような記者クラブもあるが、すべてがそうでは無い。災害発生時以外の気象庁記者クラブや商社業界の貿易記者会がそれに当てはまる。

 約20年前の話だが、貿易記者会の様子を見てみよう。ここに所属するのは経済担当の若手から中堅の記者だった。当時、たいていの記者は午前11時ごろに記者クラブに来て、共有スペースでNHKのニュースと連続テレビ小説をみながら出前の昼食を取るのが日課だった。

 そこでは競合他社の記者と腹の探り合い、キツネとタヌキの化かし合いのような会話や、取材先の大手商社幹部と徹夜麻雀をした「武勇伝」を開陳していた 。ある記者は「ここは極楽クラブだな」と自嘲しながら、企業の広報担当と夜な夜な飲み歩くことを生業としていた。

 記者クラブの大きな問題の一つは記者が競合他社の動きを過剰に意識し、マスコミ業界内だけに通用する内向きな思考に染まっていくことだ。これが独り立ちできる記者としての能力を蝕む致命傷となる。


筆者

小田光康

小田光康(おだ・みつやす) 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

1964年、東京生まれ。米ジョージア州立大学経営大学院修士課程修了、東京大学大学院人文社会系研究科社会情報学専攻修士課程修了、同大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門はジャーナリズム教育論・メディア経営論、社会疫学。米Deloitte & Touche、米Bloomberg News、ライブドアPJニュースなどを経て現職。五輪専門メディアATR記者、東京農工大学国際家畜感染症センター参与研究員などを兼任。日本国内の会計不正事件の英文連載記事”Tainted Ledgers”で米New York州公認会計士協会賞とSilurian協会賞を受賞。著書に『スポーツ・ジャーナリストの仕事』(出版文化社)、『パブリック・ジャーナリスト宣言。』(朝日新聞社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

小田光康の記事

もっと見る