経済事件の本質よりもスキャンダリズムに集中する質問
2021年03月16日
かつて記者クラブは新人記者の修行場といわれ、そこでの経験はオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)の典型例と言われてきた。取材の方法や記事の書き方の基本を先輩記者や同業他社の記者から学び、盗み取りながら一人前の記者に育っていく場であったという。
今はもう、この古き良き時代の記者クラブは無い。新人記者には一歩立ち止まって考えたり、専門書を読んだりする時間も無ければ、記者クラブのソファーでビールでも片手に先輩記者の説教を聞かされることも無くなった。
新聞社や通信社に入社してくる新人記者は地頭もよく、意欲も行動力もある優秀な者が多い。最新のIT知識技術もすぐに吸収できる。ただ、こうした希望に溢れた前途ある若い記者が記者会見の「文字起こし」のようなやっつけ仕事をこなしつつ、夜討ち朝駆け取材というチキンゲームのようなノルマに追われる。しかもここから生まれる記事のほとんどは短い定型文だ。こんな記事だけなら、大学生でも1カ月研修を受ければ書ける。
記者クラブでは現場取材の技術と取材に必要な最低限の断片的な知識は身につくが、全体を俯瞰でき、なおかつ実践に即応できるコンピテンス(実践的競争力) に結びつくことはない。こうした状況を危惧して、朝日新聞社は「ジャーナリスト学校」を設置して記者教育に力を入れているようだが、筆者の耳に入ってくる現場記者からの評価は芳しいとはいえない。それでも朝日のような報道機関はまだまれで、そのほとんどは経済的にも、人的資源的にもこうした研修機関を設けるのは難しい。一方で、一部の国内大学にあるジャーナリスト養成教育が機能しているともいえない。
IT革命でネット・メディアが台頭する中、マスコミ業界全体の収益が落ち込み始めた当時から、記者クラブに所属する若手の記者の危機感は相当なものだった。記者クラブ内の生ぬるい連帯意識と内向きな思考が染みつくと、「泥舟に乗った社畜」に落ちぶれていくことを痛いほど理解していた。
ある日、朝日新聞の若手記者が自社の財務諸表を手に、「ぼくの年金、ちゃんとあるのでしょうか。会社は大丈夫なのでしょうか」と筆者にその読み方を聞きに来た。その記者は退職給付の予定利率やDEレシオといった専門用語の解釈までも必死になって学ぼうとしていた。取材に生かせるだけでなく、自分自身の将来に関わることだからだ。
この世界に5年も身を置けば、最新の知識など吸収しようにもできず、思考力や判断力も身につかないまま、マスコミ業界だけしか見えない視野狭窄に陥る。この業界の常識が世間様の非常識だと気づいたときにはもう手遅れだ。昨今、業績不振で若手を含めて記者の転職希望者が溢れるが、これが転職難につながっている。マスコミの逃げ切り世代幹部が長年放置してきた人材育成の改革のつけを、現場記者が支払っているという構図だ。
これは昨今の「文春砲」からも見て取れる。記者クラブに属さない雑誌記者やフリーランスが特ダネを連発している。自らテーマを探して企画をし、組織の看板に頼らずアポを入れ、文献調査しながら取材して、長くても読ませる記事に仕上げる。これらジャーナリズム実践の一連の基本作法を個人で孤独に、しかも愚直に繰り返した結果といえる。記者クラブはかつての「記者修行の学校」から「才能の墓場」へと変わり果ててしまった。
記者クラブでの業務というと一般的には記者会見や報道発表の記事の編集、夜討ち朝駆けの取材と日々時間に追われる激務というイメージがある。確かにこのような記者クラブもあるが、すべてがそうでは無い。災害発生時以外の気象庁記者クラブや商社業界の貿易記者会がそれに当てはまる。
約20年前の話だが、貿易記者会の様子を見てみよう。ここに所属するのは経済担当の若手から中堅の記者だった。当時、たいていの記者は午前11時ごろに記者クラブに来て、共有スペースでNHKのニュースと連続テレビ小説をみながら出前の昼食を取るのが日課だった。
そこでは競合他社の記者と腹の探り合い、キツネとタヌキの化かし合いのような会話や、取材先の大手商社幹部と徹夜麻雀をした「武勇伝」を開陳していた 。ある記者は「ここは極楽クラブだな」と自嘲しながら、企業の広報担当と夜な夜な飲み歩くことを生業としていた。
記者クラブの大きな問題の一つは記者が競合他社の動きを過剰に意識し、マスコミ業界内だけに通用する内向きな思考に染まっていくことだ。これが独り立ちできる記者としての能力を蝕む致命傷となる。
1990年代終盤、貿易記者会内の関心事は、総合商社が巻き込まれたパチンコの偽造プリペードカード事件に集中していた。反社会的勢力の介入が漂うこのネタには、無頼漢を装う記者クラブの記者にうってつけだった。これが記者クラブ内の同調圧力になり、アジェンダ設定がなされていく。
ただ、この時期の総合商社を含め日本経済の最大の経済的関心事は金融システム危機だった。金融機能を持つ総合商社は関連会社への保証予約や経営指導念書の差し入れなどで減損処理すべき巨額の偶発債務を抱え、一社につき数百億円にも上る年金積み立て不足の処理方法に悩んでいた。そして、これらはすべて貸借対照表には記載されない簿外債務だった。
住友商事に至ってはロンドン金属取引所を舞台にした銅先物の簿外取引で2600億円もの損失を出し、経営の土台を揺るがしていた時期である。これらは旧態依然とした日本の金融や会計監査のシステムが引き起こしたものである。
決算発表の記者会見に備えて、貿易記者会が共通質問を募っていた時のことだ。筆者は総合商社が抱える基準上は簿外となっている不良債権の減損や引き当ての処理の可能性について質問をしたかった。だが、記者クラブの幹事からは「そういう細かいことは個別に取材してください。商社とヤクザとのからみが社会的な大問題なのですから」と却下されてしまった。
ある非常駐のテレビ局の記者 は、銅先物取引事件を起こした直後の記者会見で、住友商事の財務担当役員に向かって「営業利益ってなんですか」と常識以前の質問をするありさまだった。会見場が凍り付いた。このひと言で銅先物取引事件は吹っ飛んでしまった。また、他の記者は毎回決まって「有利子負債額は」「想定為替レートは」「来期のケイツネ(経常利益)は」と質問していた。
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