政府は口にした安全を守るための「覚悟」を国民に示す必要がある
2021年03月14日
2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年が経った。
マスコミは朝から震災特別番組を流している。目玉は当然お涙ちょうだいの人間ドラマだ。街が変わった。子供が生まれた。助けられなかった。今なお震災の爪痕を残しながらも10年という時間は、人々の生活を様々な形に変えていった。
そんな番組をみながら、1つ疑問に思っていることがある。
「なぜ、震災から10年も経っているのに、東京湾に原発を作る計画ができていないのだろうか?」
東京湾は原発建設に極めて適している。
福島第一原子力発電所は主に津波の影響により電源喪失が発生したが、東京湾は湾の入り口が狭く、中が広くなっており、津波が起きにくい構造となっており、リスクを低く抑えられる。過去の様々な大地震においても、東京湾内での津波は1〜2メートル程度に留まっているようだ。
そして何より東京湾付近には工場もビルも住宅も多く、電気の大消費地となっている。電気の生産地と消費地が近いと言うことは送電コストや送電ロスも極めて少なくて済むのだから、東京湾に原発を作らない手はないと言える。
少なくとも東京湾には何基もの火力発電所があるのだから、そこに原発があってもいいはずだ。
しかしそれでも東京湾に原発は作られない。
政権も自民党政権にかわり、アベノミクスで景気が良くなっていると政府は喧伝し、経済成長がもっと必要で、そのためには十分な電気が必要であり、原発の再開が必要だ。
そんなことを政権与党である自民党を支持する人たちが叫び続けているにもかかわらず、未だ東京湾に原発は作られないのである。
一方で「東京湾に原発を作ってみろ」と主張する人もいるが、その多くは反原発の人たちであり、彼らは「どうせ作れないだろう」ということを前提に原発行政を揶揄するために言っているだけであり本気ではない。
僕はまだ日本に原発は必要であると考えているし、実際に東京湾に原発を作るべきだとハッキリと意見したいのである。
原発という施設が孕んでいる問題というのは、単に危険性やリスクというだけの話ではない。一番重要な問題は、原発立地が都市と地方の経済格差によって決まってしまう点にある。
原発立地には「電源三法交付金」や土地の固定資産税、地域の人の雇用が生まれるなど、収入に悩む地方にとっては極めて大きな恩恵が与えられる。
かくして原発という迷惑施設は、お金をたくさん支出できる裕福な大都市と、収入に悩む地方都市という経済格差の上に建設されてしまう。大都市が大量発電のベネフィットを、地方都市が原発事故というリスクを一方的に引き受けざるを得ない。
僕は決して福島第一原子力発電所の安全対策が不十分だったとは思わないし、決してゼロリスクを求めるわけではないが、それでも事故に至る可能性を十分排除しきれなかったのは、やはり政治家たちにとっては「見知らぬ遠い土地の発電所のことである」と、どこか他人事だったからでは
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