2021年03月15日
日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」で3月12日、アイヌ民族に対するヘイトスピーチにあたる発言があった。アイヌ民族の女性を描いたドキュメンタリー「Future is Mine―アイヌ、私の声―」を紹介した直後、「この作品とかけまして、動物を見つけた時と解く」と謎かけをし、「あ、犬」と続けたのだ。
筆者は「近文(ちかぶみ)アイヌ」が多く住んでいる地区として知られている北海道旭川市の北門中学校出身である。かつて拙稿でも指摘したが、同校は、アイヌのみを分離し通学させる「旧土人児童教育規定」に伴い設置された小学校の跡地に建てられた。筆者は同校の生徒会長として、『アイヌ神謡集』の編訳者の知里幸恵の生誕祭に参加した経験もある。
そうした経験をもつ筆者として、マスメディアで再生産される差別発言に対して強い憤りを覚えている。
たしかに、紹介されたドキュメンタリーの内容も照らし合わせると、このコーナー全体に、アイヌを差別しようとする明確な意図はなかったかもしれない。しかし、この言葉がアイヌ差別として使われてきたのは紛れもない歴史的事実である。
北海道(アイヌモシリ)を「開拓」した和人たちは、アイヌの人々を搾取してきた。さらにいえば、アーロン・スキャブランド『犬の帝国』によると、土着の北海道犬もアイヌと同時に「野蛮」とされ「排除」されており、こうした構造は19世紀アメリカにおける先住民のネイティブ・アメリカンへの抑圧と酷似しているという(注1)。植民者は先住民族を「野蛮」なものとみなすことで、差別/抑圧を正当化してきたのである。
ちなみに、こうした事実は、アニメ・漫画においても表象されている。たとえば、明治末期の北海道・樺太を舞台にした漫画『ゴールデンカムイ』第6話において、ある和人が、アイヌを別の和人の飼いイヌと見立てからかうシーンが描かれている。
また、アイヌ初の国会議員として知られる萱野茂は、著書の中で和人に「あア、犬が来た(あ、アイヌが来た)」と呼ばれ、学校に通えなくなった子供の話を紹介している(注2)。実際、筆者自身、北海道の小学校に通学していたとき、無知ゆえのそうしたからかいを目撃したことがある。だが、今回の発言は、マスメディアが、公共の電波を用いて発信したことに鑑みると、「無知ゆえ」ですまされるものではない。
昨今、北海道ではアイヌ文化を推し進めようという動きが活発だ。だが「観光資源」として商品化されている印象こそ受けるが、「差別」の歴史についての教育/啓発は不十分である。政府と「開拓者」が、アイヌを差別してしまった歴史を直視せずに、アイヌ文化を理解することなど、到底不可能であるにもかかわらず、である。
先月帰省で北海道を訪れた際には、JRの電車内で「イランカラプテ」
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