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コロナ禍・放射能災害の中で「正しく恐れる」ことの意味を問う

科学忌避論はなぜ生まれるのか

舘野淳 核エネルギー問題情報センター事務局長

科学の論理と人間の論理――ザインとゾレン――は違う

 内田論考は市民と科学者の間のディスコミュニケーションを取り上げているが、低線量被曝の人体に与える影響をめぐっては福島事故直後から科学者のあいだでも(場合によっては市民を巻き込んで)激しい対立があった。

 私は放射線影響学の専門家ではないので、その内容に立ち入ることは避けるが(詳細は例えば宇野賀津子著『低線量放射線を超えて』小学館101新書参照)、一つ言えることは、低線量被曝の影響を過度に重視する人たち(以下低線量重視派)は、福島事故の責任を追及する志向が強く、従来からの放射線影響学の成果を肯定する人たち(以下、重視しない派)を御用学者であると口を極めて非難した。こうした姿勢が、科学的文脈の中に直接倫理的バイアスを持ち込むという行為を生み、虚心坦懐に自然の声を聴くという科学本来の役割を損ねることとなった、と筆者は考える。

 その象徴的な事件が漫画『美味しんぼ』に描かれた被曝にもとづく「鼻血」をめぐる対立である。

 雑誌「科学」掲載の「政府に『鼻血』を認めさせろ」と主張する、ある論文(白石草「漫画『美味しんぼ』問題を考える―政府はなぜ『鼻血』を認めないのか」『科学』2014年9月号)で低線量重視派の論旨の典型例を見ることができる。その特徴は、鼻血が出たはずであるという信念のもとに、それに合致するような事例を集めて、福島での被曝被害を強調するとともに、裁判の記録を引用しつつ「〇〇氏は国立研究機関の役職を持った人だから(低線量被曝の人体影響を否定するのだ)」などと、重視しない派に対する個人攻撃・属人的攻撃を展開する点にある。

 鼻血に関しては、野口邦和氏が最近の「論座」において「福島からは『逃げる勇気』が必要だったか―『美味しんぼ』「福島の真実」編に見るデマ・偏見・差別」と題して、福島事故後鼻血が増えたというデータは一切なく、鼻血は事実無根であると述べている。筆者も野口氏の見解が正しいと考える。

 鼻血は極端な例であるが、こうした低線量重視派の放射線の影響を過大視する様々な言動が、福島の人たちに不安を与え、また差別、偏見などを生み、深刻な苦痛を与える結果となったが、その実態は前掲書『再検証』に述べてある。

拡大抗議を受けた小学館発行の「美味しんぼ」。2014年4月28日発売号で原発取材後の主人公が原因不明の鼻血を出し(右)、最新号では井戸川克隆・前双葉町長の「今の福島に住んではいけない」との発言が描かれた(左)

 なぜこのような現象が生じたのだろうか。それは、科学の論理と人間の論理(倫理、利害など)を明確に区別することなく混同して論ずることが、あたかも良心的科学者であるかのように一部の科学者や科学ジャーナリズムが受け止め、これを推奨したからに

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筆者

舘野淳

舘野淳(たての・じゅん) 核エネルギー問題情報センター事務局長

1936年生まれ。1959年東京大学工学部応用化学科卒業。日本原子力研究所員を経て、1997年から2007年まで中央大学商学部教授。現在核・エネルギー問題情報センター事務局長。工学博士。著書:単著は『廃炉時代が始まった』(朝日新聞社、2000年、リーダーズノート社より2011年に再刊)、共著は『原発より危険な六ケ所再処理工場』(本の泉社、2017年)、『原発再稼働適合性審査を批判する』(本の泉社、2019年)、『福島第一原発事故10年の再検証』(あけび書房、2021年)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです