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サイバースペースにおける「言論の自由」の社会実験の失敗/下

Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【6】

清義明 ルポライター

 ゲーマーゲート事件で、アメリカの匿名掲示板に分岐点が生じたと書いた。そして、西村博之氏がオーナーになって、日本基準ともいえる自由放任主義の掲示板になった4chanがオルタナ右翼と差別主義者に完全に乗っ取られたかのようなダーク無法地帯となった。

 西村氏の前のオーナーであるクリストファー・プール氏は、まだゲーマーゲート事件の書き込みの規制を行い、なんとか騒ぎをおさめようとしていた。その時に、ゲーマーゲート事件の書き込みの規制に反発したユーザーが新しく使いだしたのが、8chanである。

Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【1】
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【2】
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【3】
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【4】
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【5】

8chanの運営は風前の灯火だった

Shutterstock.com

 8chanは、もともとはフレドリック・ブレナン氏によって2013年に開設されたものだ。クリストファー・プール氏が若干15歳で4chanを立ち上げたのと同じように、ブレンナン氏も19歳で8chanを立ち上げた。

 もともとはブレンナン氏は4chanのユーザーであったが、自由にスレッドが立てられないのが不満であり、もっと自由度の高い匿名掲示板をつくりたかったという。8chanは当時の4chanよりも規制が緩かったために、一挙に4chanからユーザーが流れ込んだ。

 ブレンナン氏は最初は匿名で運営していたが、やがて4chanから流入したユーザーが爆発的に増えていってから、いわゆる「身バレ」してしまった。そして、4chanに並ぶかのように巨大なトラフィックとなっていったときには、ネット界の有名人となっていった。しかし、この手の匿名掲示板の宿命ともいえるビジネスモデルの欠如の難題にすぐに直面した。

 それはそうだろう。4chanでの書き込みが許されないような悪い筋のユーザーが集結したのが8chanだったからだ。広告は当然つかない。さらには投稿にある児童ポルノなどの存在も問題視され、複数のインターネットサービスプロバイダーからはアクセスを拒否されるようになり、さらには資金調達のためのクラウドファンディングサイトも8chanを追放した。8chanの運営は風前の灯火だった。

 そこに現れたのが、あのジム・ワトキンス氏だ。

 すでに、2ちゃんねるの経営を掌握していたジム氏はフィリピンで、この8chanを知る。これを教えてくれたのは息子のロン・ワトキンス氏だそうだ。ジム氏は、サイトの経営難に直面していたブレンナン氏に、サーバーインフラを提供するとともに共同での経営を持ちかけた。

 きっとジム氏にはふたつのことが頭にあったはずだ。ひとつは2ちゃんねるの経営を手に入れた経験、そしてあの盟友でもあり仇敵でもあった西村氏が、アメリカで2ちゃんねるのノウハウをつかって4chanを経営し始めたことだ。

 そうして、ジム氏はブレンナン氏に近づいて、フィリピンへの移住とサイトの共同経営を持ちかけたのだ。

 「ジムは私に嘘をついていました。2ちゃんねるを運営しているのは自分だと言っていました。ひろゆきは英国の女王のように君臨すれども統治せずだ、と私に説明していたのです。日本語を勉強するようになって、2014年のジムとひろゆき(西村博之氏)の裁判の記録などを読んで、やっとそれがデタラメだとわかりました」

 こう語るブレンナン氏は、フィリピンに移住して8chanの運営を行っていた。だが、そこでジム氏とトラブルがあったようだ。なによりもブレンナン氏は、8chanが様々な問題を巻き起こしていることに、だんだんと恐怖を感じるようになっていたのだ。ブレンナン氏は、サイトの管理人を辞任した。あとを継いだのはジム氏の息子、ロン・ワトキンス氏だった。

「もっと過激にならないと掲示板に人が呼べない」

 「4chanが管理されなくなったために、ジムはもっと過激にならないと掲示板に人が呼べないと思ったのでしょう。それで、もっと過激に極端な差別主義者が集まる場所にしていこうとしたんです」とブレンナン氏は証言する。

 8chanのトップページに「ようこそ、ここがインターネットのもっとも暗い場所」とキャッチコピーをいれたのは、経営権ともども8chanがジム氏のものになったからだ。

 ジム氏は8chanを過激な自由放任主義のサイトとしてブランディングしながら、2ちゃんねる(5ちゃんねる)と同時にフィリピンから運営していた。

 「ひろゆきにはまったく評価できるところはないです。出来る男とも思わない。法律や警察をいかにして逃れるかだけを考えている印象です。決して本心をださずにのらりくらりとしていて、まるで政治家のようです。もともと匿名掲示板の管理人なんてまともな人がいるとは思わないし、ひろゆきもどうかと思うが、しかしジムはもっとひどい。日本の人は疑ってほしい」とブレンナン氏。

 そのブレンナン氏は、2020年に5ちゃんねるにジム氏への批判文を、日本人の翻訳者を介して書き込みをしている。それによると、ジム氏は極右の人種差別主義者で日本人が嫌いだということだ(「【5ちゃんねるの皆さんへ】ジム・ワトキンスがどれほど危険人物かお伝えします、フレデリック・ブレナンより」)。

 「ジムは自分がペリー提督であるかのように思ってます。日本人でもないのに、日本のインターネットをコントロールしていると考えている。日本を植民地だと思っています。「ジャップ」や「ニップ」といった差別語で日本人を呼んでいるのも聞いてきました。

 彼は日本人のビジネスパートナーもまったく信用していなかった。息子のロン・ワトキンスが日本にいるのも、日本人がうそをついて盗んでいると思い込んでいるからで、その監視のために送り込んでいるのです」

 ロン氏が現在札幌に在住していることは前述のとおりだ。これは日本での広告業務の代理店が札幌にあるからだ。さすがにこれだけはフィリピンからリモートで行うわけにはいかなかったらしい。

 日本を植民地だと思っているというのは、2012年にアップロードされたジム氏のyoutubeチャンネルでの日本の記者に対する問答からもうかがい知れる。彼は2ちゃんねるをめぐる日本の対応について話しているなかで、日本国憲法の表現の自由に言及し、唐突に、日本国憲法は「勝利者であるマッカーサーが書いた」「あなたがたが負けた側で、我々が憲法を書き上げた」と日本人の記者に主張している。米軍の退役軍人の本音なのだろうか。

 さらにブレンナン氏によれば、日本で2ちゃんねるにより右翼(ネット右翼)が増えたからアメリカでも同じようにしたいとジム氏が考えていたとのことだ。

 「ジム自身、白人民族主義的な右翼思想の病気なのです。そのため日本の2ちゃんが右翼的な影響を日本人に与えたのと同じようなことをしたかった

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