いま話題の芥川賞受賞作に倣えば、「学者、燃ゆ」だろうか。正直、驚くとともに、強い懸念を感じている。
『応仁の乱』などのベストセラーで知られる呉座勇一氏(日本中世史)が、SNSでの「炎上」がきっかけで、NHK大河ドラマの時代考証を外れることになった。発端は、フェミニストとしての批評活動でも知られる北村紗衣氏(英文学)との論争である。
炎上ならなにをしてもよいわけではない

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当初は、日本中世史の大家である網野善彦(故人)の文章を「正しく読めるのはどちらか」という論点での、よくある学者どうしの諍いだった。しかし呉座氏が従来から、彼のTwitterアカウントのフォロワー(=おおむねファン)にしか見えない場所で、何度も北村氏を揶揄していた事実が明らかになり、「女性蔑視だ」との非難が殺到することになった。
呉座氏はその後、北村氏に対して非を認め、謝罪している。私自身、呉座氏の行為は褒められたことではなく、それが妥当な結末だと思う。
しかしそこから、公開された呉座氏のその他の「問題あるツイート」(として、ネット上にまとめられたもの)がきっかけとなり、同氏に「差別主義者」のレッテルが貼られ、公職から排除せよといった声が上がっているのは異様なことである。微罪なのにやりすぎだ、といった趣旨ではなく、あきらかに「冤罪」と呼ばざるを得ない側面が含まれているからだ。
Aという罪を犯した者がいた場合、その償いを求めるのは社会正義として当然のことである。しかし、「おまえのようなAをやる奴は、どうせBやCやDもやっているだろう」という先入見で、実際にはやっていないB・C・Dの責任を問うてはならない。それもまた、私たちの人権感覚として、あたりまえの前提であろう。
いまや、そうしたあたりまえを確認しなくてはならない時代なので、しかたなく筆を執ることにした。
なお、公正さのために予めお伝えするが、私はかなり以前のことだが呉座氏と親しく仕事をしたことがあり(拙著『歴史がおわるまえに』 を参照)、同氏への告発の発端となった北村氏とは、一切の交流がない。また私自身が「フェミニズムに対していかなる立場か」を問う向きは、こちらの短文を読んで、自由に論評されたい。