日本スポーツ界の2人のレジェンド、古賀稔彦氏と小野清子氏を悼む
2021年03月30日
3月25日、1年延期された東京五輪・パラリンピックの聖火リレーが、2011年3月の東日本大震災後、福島第一原子力発電所事故の対応拠点となったスポーツ総合施設「Jヴィレッジ」からスタートした。スローガンは「希望の道を、つなごう」。
新型コロナウイルス感染予防対策のため、出発前の式典も無観客で実施されたが、福島県民が披露したパフォーマンスは1年延期の空白を全く感じさせなかった。県の国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」、会津田島太鼓保存会「白鼓」(びゃっこ)による太鼓演奏、スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチーム「フラガール」のダンス、福島県立福島西高校デザイン科学科の作品披露、震災で活動を長く停止した南相馬市のマーチングバンド「シーズプラス」の演奏、合唱が盛んな郡山市の郡山第五中と朝日が丘小学校が合同で「花は咲く」を歌った。その後、聖火が登場すると組織委員会・橋本聖子会長は涙ぐみ、ほかにも式典の出席者や、場内で涙を流す関係者の姿もあった。
福島ではいまだに約6万人が県内外での避難生活を強いられている。内堀正雄県知事は「復興もまだ道半ば。新型コロナウイルスにも対応しなくてはいけない。しかしこの灯で、もう一度皆さんの心をひとつにしたいと心から願っています」と厳しい表情であいさつ。聖火は、11年W杯で優勝を果たしたサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」によって、ドーム型の屋内ピッチから全国859自治体、121日間の旅に駆け出した。
焦点は、コロナウイルスの感染再拡大も危惧されるなか、安全を最優先しながら7月23日の国立競技場に到着できるかだ。同時に、開催反対が圧倒的多数の世論にわずかでも変化をもたらし、人びとの共感を得られるかにある。
組織委員会は、リレースタートの前に、感染予防のため、海外からの観客受け入れ断念を発表。リレー中の感染予防対策を公開し、さらに日々起きる問題や課題に「対応チーム」を結成して素早い改善策を出すなど、機運を何とか盛り上げようと試みている。
昨年3月、ギリシャのオリンピアから空路運ばれてきた聖火を、航空自衛隊松島基地で受け取った聖火リレーアンバサダー、柔道の野村忠宏氏(46)は、特別な心境でリレーのスタートを見守った。奇しくもリレースタート前日の24日、53歳で亡くなった大先輩、古賀稔彦さんを悼み「高校時代にバルセロナ五輪の金メダルを見て以来、自分にとって憧れの柔道家でした。先輩は5月、故郷で走る予定でとても楽しみにしていたそうです」と、肩を落とした。
古賀氏は昨年がんが発見され、腎臓の摘出手術を行ったという。闘病中も、柔道部総監督を務めた環太平洋大(岡山)、自身が開設した古賀塾(川崎)など各地で、周囲に気を使わせないよう指導活動を続けていた。
1988年ソウルから五輪3大会に連続出場し、92年のバルセロナ五輪71キロ級では、現地での練習中にひざのじん帯を損傷。それでも金メダルを獲得した伝説は言うまでもない。1990年4月の全日本選手権も、日本のスポーツ史に不滅の1ページを
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