大木毅(おおき・たけし) 現代史家
1961年東京都生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。専門はドイツ現代史、国際政治史。千葉大学などの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校(現・陸上自衛隊教育訓練研究本部)講師などを経て、現在、著述業。著書に『「砂漠の狐」ロンメル』、『ドイツ軍攻防史』、『独ソ戦』、『帝国軍人』(戸髙一成と共著)、訳書に『ドイツ国防軍冬季戦必携教本』、『ドイツ装甲部隊史』など多数。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【4】水上源蔵中将(日本陸軍)
6月中、ミイトキーナ守備隊は奮戦を続け、連合軍の攻撃をしりぞけていたが、同月末日には完全に包囲されるに至った。さらに、7月に入ってインパール作戦が中止され、連合軍のつぎの攻勢が予想されるようになると、第三三軍も対策を練らざるを得なくなる。絶対に維持しなければならないのは、インド・中国間の地上連絡の遮断であった。そのため、第三三軍は、もっとも脅威の大きい雲南方面において、中国国民政府軍の前進を拒止するための決戦を企図するに至った。そこで懸念されたのは、この作戦中にミイトキーナが陥落し、同地を経由して連合軍が進撃してくることによって、第三三軍の背後が危険にさらされることであった。
この問題に判断を下す材料を得るため、本多軍司令官は、7月12日ごろ、水上少将に、ミイトキーナはどれぐらい持ちこたえられるかと意見を求めた。回答は、今後2カ月以上は持久可能というものであったが、その直後に「敵は本格的攻撃を開始せり。陣地設備薄弱、食糧、弾薬ともに僅少にして長期にわたる持久は困難」と、前便と正反対の報告が舞い込んできたのである。第三三軍側は、これを検討し、おそらく第一便は水上少将の意見であり、第二便は丸山大佐のそれであろうとみた。すなわち、水上がなお戦意旺盛であるのに対し、丸山は弱気になっていると判断したのだ。
かかる結論を受けて、ミイトキーナ守備隊を督励するための軍命令が作成された。ところが、その内容たるや、他に例をみない異様なもの
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