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原発事故後、飯館村から姿を消した大手メディアの記者たち

思考停止させる記者クラブの弊害

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 福島県飯舘村。いまからちょうど10年前、筆者は国際環境NGOグリーンピースの一員として、この村の役場前で放射線量を測るガイガー・カウンターをかざしていた。3月半ばといっても阿武隈高地の春にはまだ早く、山の北斜面や日陰にはまだ雪が多く残っていた。東日本大震災の影響で道路は所々で寸断されていた。また、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、そこから半径20キロ圏内は立ち入りが禁止されていた。

 飯舘村は福島第一原発から20キロ圏外にあり、避難指示区域には指定されておらず、立ち入りの制限もなかった。辺りは自衛隊の車両がひっきりなしに行き交い、全国から召集された警察官が制限区域の境界で警戒していた。その横でお年寄りが身をかがめ、畑の春支度にいそしんでいた。

福島県飯舘村長泥地区(2011年8月撮影)福島県飯舘村長泥地区(2011年8月撮影)

 グリーンピースは政府が発表した放射線量をその現場に出向いて検証する調査を実施していた。福島市内を含めて原発から風下の北西部を重点的に調査した。多くの場合、政府発表と現地調査の線量は変わらなかった。政府による放射線量の定点観測の数値自体に虚偽はなかった。だが、その定点が置かれた環境に問題があった。

鳴り響くガイガーカウンター、姿なき記者たち

 役場の前に急遽設置された線量計には基準値程度の数値が示されていた。ただ、この線量計はコンクリートが真っ白になるほど除染された場所に立っていた。そこから10メートルも離れるとガイガーカウンターの警報が鳴り響いた。空間線量が一気に跳ね上がったのだ。防護服に身を包んだまま、役場2階にある町長室に乗り込んだ。

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