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記者クラブ問題を総括する〜自助努力も外部からの批判も解決の力にならない

日本の記者クラブ、4つの大きな問題

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 2009年に民主党へ政権交代した前後に、「記者クラブ開放運動」が盛り上がった。ネット・メディアの記者やフリーランスを中心に記者クラブの批判者や開放論者が雨後の筍のように湧いて出てきた。筆者はこの動きに批判的だった。この時点ではすでに外国人記者であろうと、フリーランスであろうと、正規の手続きさえ踏めば記者会見には参加できる記者クラブは多数あったからだ。

 ネット・メディアの記者クラブ開放運動は21世紀初頭から続いていた。筆者が編集長を務めた市民メディア「ライブドアPJニュース」や、同じ部署にあった「ライブドア・ニュース」では記者クラブ主催の記者会見参加の申請を度々行い、許可が下りるケースもあった。同時に、日本新聞協会へは開かれた記者クラブを謳った2002年の声明が言行不一致だと訴えつつ、在京の外国報道機関に日本の記者クラブ制度についての問題点を取材して記事にしてきた。また「ライブドア・ニュース」は気象庁記者クラブへ加盟申請もした。

 ジャーナリスト個人がその壁に真正面から向き合えば、当時からなんとか道は開けた。当時、インターネットの普及やメディアの多様化が進む一方、記者クラブや記者会見のあり方への批判が多くあった。このことから、日本新聞協会は2006年、記者クラブ開放を明記した見解を示した。これは2002年に記者クラブに関する見解をもとに、開放の対象をより広げた内容であった。

 これ以降、日本国内での記者クラブ加盟や記者会見参加は、外国報道機関の外国人記者であろうと、雑誌に寄稿するフリーランスであろうと、ネット・メディアのブロガーであろうと、記者会見参加の道は大きく開かれていった。つまり、2009年の民主党政権交代時、記者クラブの多くはすでに開かれた存在であったのだ。一方で、記者クラブ入会や記者会見参加の手続きを踏む者など極々まれであった。

民主党政権時代の惨憺たる「記者クラブ開放運動」

 さて、民主党政権発足時の「記者クラブ開放運動」はなにを意味したのだろう。当時、記者クラブ開放を一つの柱にし、市民メディアの「オーマイ・ニュース」や「JanJan」が主体となって「インターネット報道協会」が設立された。また、フリーランスを中心に記者クラブ打倒を訴える「自由報道協会(現・日本ジャーナリスト協会)」も勢いよく設立された。これらには反権力の看板を大きく掲げた「左巻きのいつもの連中」やら、独立を謳う「戦場ジャーナリスト」までもが、その美味しそうな匂いを嗅ぎつけ集まってきた。

日本記者クラブで質問に答える民主党・鳩山代表(当時、2009年8月撮影)日本記者クラブで質問に答える民主党・鳩山代表(当時、2009年8月撮影)

 烏合の衆に成せることは無い。記者クラブ開放運動に集まってきたジャーナリストといっても玉石混淆だ。個々のジャーナリストの資質や能力について、これらの協会加盟では一切考慮されていなかった。国家権力がこれらを一気に絡め取るに都合の良い道具がこうした「協会」なのである。筆者は組織として群れて、次第に権力の手のひらの上で転がされる第二、第三の記者クラブに成り下がることを恐れた。そして筆者はこれらに乗らなかった。記者クラブへのアクセスの要件として、単に協会に所属しているという外見でなく、個々のジャーナリストの資質と能力という内容が問われるべきである。

 この悪い予感が、民主党政権が誕生した瞬間に現実となった。ライブドア・ニュースやPJニュースの記者は野党時代、民主党の記者会見に参加するなどして取材活動をしていた。与党になるとすぐに、民主党は公約にしていた記者クラブ開放を実施し、それら協会の所属を記者会見参加の要件にした。そして、それまで取材していたPJニュースの市民記者に対して、手のひらを返して袖にした。

 そして、人知れず「記者クラブ開放運動」は収束した。これら協会に属していても、実際に記者クラブの記者会見に参加する者はごくまれだった。売名行為といわれても致し方ない輩が「記者クラブ開放運動」に雲集霧散しただけだった。

CHAINFOTO24/shutterstock.comCHAINFOTO24/shutterstock.com

 しかも、国家権力はますます情報統制を強化し、情報公開の機会が記者会見という公開の場から、懇談・レクチャーという密室に移されてしまった。同時に、記者クラブ側は開放を叫ぶ者が加盟申請してくることはおろか、記者会見への参加すら無いとも踏んでいたのだろう。つまり、記者クラブと権力とが結託して、公的な情報流通のアングラ化を加速させ、国民の知る権利を毀損してしまったといえる。戦略も無く、結果も考えずに、大騒ぎしただだけの「記者クラブ開放運動」は皮肉な結果に終わった。

学生記者でも司法記者クラブの門戸を開ける

 2020年12月16日、取材・報道の自由をテーマにした裁判の記者会見が、東京地方裁判所内にある司法記者クラブで開かれた。筆者の知る限り、学生が記者クラブ主催の記者会見で取材したのは国内初だった。司法記者クラブの記者会見に参加申請したのは筆者のゼミに所属する学生ら3人。

 取材報道の自由は日本国憲法第21条で定められる表現の自由の一部であり、国民の基本的人権である。当たり前のことだが、取材報道の自由は特権的に記者クラブに所属するマスコミ社員記者だけに与えられたものではない。フリーランスであれ、学生であれ、取材報道する意思のある者には取材報道の自由を謳歌する権利がある。

東京地裁東京地裁

 司法記者クラブは公共施設内にある。その記者クラブを構成するマスコミ企業は公器だと公言している。つまり、公共施設内で公器が主催する記者会見なのだから、一般公開されてしかるべきだ。実際、司法記者クラブには加盟していない出版社やネット・メディアの記者、そしてフリーランスでも、所定の手続きを踏めばそこで開かれる記者会見で取材は可能だ。

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