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カップルが自由に姓を選ぶ「なんでもあり」 英国

【2】夫と妻の立場が法的に平等になるには長い長い時間がかかっている

冨久岡ナヲ ジャーナリスト

 選択的夫婦別姓の導入に賛成する意見は、様々な世論調査ではすでに多数派になっているが、にもかかわらず法改正は実現せず、国会における議論さえなかなか進まない。日本では長らく「夫婦が同じ姓なのは当たり前」とみなされてきたかもしれないが「『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」ことは政府も認めている(2015年10月6日付参議院での政府答弁書)。それでは諸外国では結婚後の姓はどんな制度によって定められ、人々はどのような選択をしているのだろうか。ヨーロッパを中心に、各国在住のライターがリレー形式で連載する。[第2回/全6回]

 英国で結婚したカップルは、自分たちがどんな姓名を名乗りたいかを自由に選ぶことができる。夫婦別姓、どちらかの姓を共有する、二つの名字をつないだ連結姓という3つの選択肢の他に、どちらかの旧姓をミドルネームとして残すことも、二人の姓名を合わせて新しい名字を作ることも可能だ。要するに「なんでもあり」なのだ。夫婦で同一の姓名を持つことが法的に強制されていた時代もない。

 日本の友人たちにこの話をするとたいがいひどく驚かれる。そこまで自由な「選択肢」とはいつからどうやって法的に許されるようになったのか? と質問攻めに会うことが多い。別姓か同姓かどちらかを選ぶ、と言う視点で英国の婚姻制度を切り取って説明すると誤解を招きやすいのでまずは英国における「改名」と名前の位置づけから話すことになる。ちょっと遠回りになるが、夫婦別姓というテーマを考えるのに避けられない背景から現状へと紹介していきたい。

いつでも自分の名前を自由に変える権利

英国の結婚証明書。結婚した日付に始まり、結婚前の名前と職業、年齢、独身か再婚か、父親の名前、立会人と登記係の名前が入る

 まず、「自分の名前を自由に変える」のは英国国籍を持つ人に対して法律が保証する権利だ(犯罪者は例外)。だから、「改名」という行為はその権利を行使しているにすぎず、変更の理由を問われることもなく、また個人の意思で決めた新たな名前の否定はできない。変えるための公式な手続きもいらないほど基本的な人権だ。「明日から私はこの名前で生きていくと決めた」と周りに言うだけで良い。その後にパスポート、国⺠健康保険、選挙者登録名義などの変更といった生活上の必要が生じて初めて、名前を変えましたと法的に「宣言」することを提出先から要求される。

 結婚にあたっても、「同姓を選び夫と妻のどちらかが改名する自由」と「別姓を選び改名しない自由」は、この名前を変える権利の傘の下に含まれているのだ。英国政府が各種の法的手続きを提示しているウェブサイトでは、結婚による改名は婚姻に関する手続きのページにはなく、姓も下の名前も含めた「名前の変更について」という長いページの中程に並んでいる。

 英国に帰化した移⺠の間では、英語圏で生きていくために不便な本名はそっくり変えてしまう例が珍しくない。王族ですらも例外ではなく、ドイツにルーツを持つ英国王ジョージ5世は第一次世界大戦中の1917年にドイツ家名であるザクセン=コーブルグ=ゴータという由緒ある連結姓を捨て、家系図にリセットをかけてしまった。そして居所としていた城の名前がウィンザー城だったことから、本名とは縁もゆかりもない「ウィンザー」という英語の姓名を新たに作った。なんともいいかげんに見えるが、改名といえば婚姻や養子縁組など身分に関した事情が多い日本との違いを感じてもらえるだろうか。その背後には家名の存続よりも個人の意思を尊重するという姿勢がある。

結婚と結婚証明書

 さて、改名したことを法的に宣言するにはDeed Poll(ディード・ポール=証書投票)と呼ばれる書類を作り、身内以外の第三者を証人に立てて双方が署名をする。結婚においては結婚証明書やシビル・パートナーシップ証明書がその役を果たす。離婚して旧姓に戻る場合は離婚証明書というのもある。

 英国での結婚にはキリスト教則に基づいて教会や認可を受けたホテルなどで婚姻の儀式を執り行うか、宗教に関係なく役場の登記所(レジストリーオフィス)で結婚登記をするという2通りの方法があり、発行される結婚証明書は同じだ。書類には2人とも旧姓を書き入れるが、同姓を選びパスポートや銀行口座名などを変更するにはこの証明書を見せて結婚相手の姓を証明する。連結姓など別の名前にする場合には、改めてディード・ポールを使う必要がある。

 結婚証明書はカップルひと組に対し1枚しか発行されず、戸籍制度のない英国では出生届と並びとても大事な書類だ。教会でも登記所でも、署名の終わった証明書はたいがい新婦に渡される。女性が男性の従属物であった昔の慣習が今日に引き継がれているのだ。既婚女性にとって夫の名前と自分の結婚前の名前を証明できる書類はこれしかないため、後生大事に持っていなさいというメッセージが含まれている。

 今でこそ、英国における結婚とは対等な個人同士の結束を意味する。しかし1822年にMarried Property Act という法律ができるまで、このように英国の女性は独立した「個人」とは見なされていなかった。だから、個人に保証されている「自分の名前を変える/変えない権利」も女性には当てはまらなかったのだった。夫と妻の立場が法的に平等になるには長い長い時間がかかっている。

存在を消される妻たち

 200年くらい前まで、女性は結婚するまでは父親に属し、結婚したら夫の庇護のもとに入るということがしごく当たり前とされていた。妻が実家から持ってきた財産も、働いて得た収入もすべては夫の懐に入るのだ。キリスト教式の結婚式で新婦の父が新郎に娘を引き渡す儀式はいまだに続き、妻が主婦の場合には夫が家計を握っている家庭が多く日本のように逆の例は稀、など昔からの習慣は随所に残っている。

 同姓を強制する法律こそなかったとはいえ、妻の名前は結婚とともに自動的に消滅

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