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結婚後の姓は自由に選べるが、伝統の陰も色濃く 米国

【3】女性個人の好みや利便性が主な判断要素に

片瀬ケイ ジャーナリスト、翻訳者

 選択的夫婦別姓の導入に賛成する意見は、様々な世論調査ではすでに多数派になっているが、にもかかわらず法改正は実現せず、国会における議論さえなかなか進まない。日本では長らく「夫婦が同じ姓なのは当たり前」とみなされてきたかもしれないが「『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」ことは政府も認めている(2015年10月6日付参議院での政府答弁書)。それでは諸外国では結婚後の姓はどんな制度によって定められ、人々はどのような選択をしているのだろうか。ヨーロッパを中心に、各国在住のライターがリレー形式で連載する。[第3回/全6回]

 個人の自由と権利を尊重する米国では、市民が自らの意思で氏名を決める自由も合衆国憲法修正第14条で守られている。このため、どの州にも婚姻による姓の変更を義務付ける法律はない。

 現実には伝統に従い妻が夫の姓に変更するのが一般的だが、その逆もある。別姓を選択するカップルもいれば、両者の姓をハイフォンで結び複合姓にする場合もある。最近では、ハイフォン(-)で結ぶかわりに、女性が自分の生来の姓をミドルネームとして残すことが多いようだ。さらには、まったく新しい姓を考案したり、生来の姓と夫の姓の二つを、正式な姓とすることも可能である。

 たとえばハリウッドのおしどり夫婦として知られる歌手のジョン・レジェンドと妻でモデルのクリッシー・テイゲンは別姓のまま。一方、歌姫のビヨンセの本名は、本人の姓と夫のジェイ・Z(本名の姓は Carter)の姓をハイフォンで結んだビヨンセ・ノウルズ・カーター(Beyoncé Knowles-Carter)である。そして、ジル・バイデン大統領夫人の本名は、Jill Tracy Jacobs Bidenと、自分の生来の姓であるジェイコブズをミドルネームに残している。以前にもこのパターンを選んだ女性たちがおり、マーチィン・ルーサー・キング牧師夫人の名はコレッタ・スコット・キングだった。

妻が姓も権利も剝奪された歴史

筆者の米国の義母が再婚した時のウェディングケーキ。義母は義父と離婚後も義父の姓を名乗り続け、再婚後は再婚相手の姓を名乗ることを選んだ。(筆者撮影)
 米国でも植民地時代から建国当時は、「妻は夫の庇護下にある」とするイギリスの慣習法(カヴァチャー Coverture の法理)を受け継いでいた。結婚により「夫と妻がひとつになる」象徴として夫の姓が強制され、妻は法的アイデンティティを失った。夫婦がひとつになるの「ひとつ」とは、夫の存在だけになるという意味だった。独身時代には労働対価の賃金を得たり、不動産や物品を売買、所有したりすることのできた女性が、結婚と同時にすべての所有権を失い、夫の許可なしには何もできなくなった。離婚を申し立てることさえ許されなかった。

 カヴァチャーの法理のもとで、夫が絶対的権力を持つ状況を懸念したのが、ジョン・アダムス第2代合衆国大統領の夫人であるアビゲイル・アダムスである。アビゲイルは1776年、独立後の米国のありかたについて検討する「大陸会議」に出席していた夫に、「女性たちの存在を忘れないで」と訴える手紙を書いたことで知られている。

 それから1世紀あまりが過ぎ、夫婦それぞれが財産を保有する慣習を持つチカソー族との訴訟が発端となり、1839年にミシシッピー州で「既婚婦人財産法」が制定された。既婚女性に財産の所有権を認めたが、管理権は夫の手に残った。そして1845年には、ニューヨーク州がより広範な権利を含めた既婚婦人財産法を定めた。そこには婚姻時に女性が所有していた財産、自分で働いた賃金、譲り受けた遺産などは個人のものであり、夫が勝手に使ったり、夫の債務支払いの対象にしたりできないことが盛り込まれていた。

 19世紀以降、既婚女性にも契約や商取引、資産の取得を行う法的地位が認められるようになり、女性の法的身分の重みが増した。職業やビジネスを確立していた女性たちは、結婚後も生来の姓名を維持することを望む人が増えてきた。

 先駆者の一人が、1847年にマサチューセッツ州で女性として初めて大学学位を得たルーシー・ストーンだ。当時の慣習通り父親が絶対権力を持つ農家に生まれたルーシーは、母親が卵やチーズを売って得た収入もすべて父親が取り上げるのを見て育った。16歳から学校で教えて学費を稼ぎ、大学に入学。女性の権利や黒人解放などの人権擁護に取り組んだ。妻が自分の姓を捨てて夫の姓を名乗る伝統は、既婚女性のアイデンティティを法的に消滅させることだと考えたルーシーは、自分が結婚した際も慣例に背いて夫婦別姓を実践した。

姓の選択権はその女性のもの

 長年の伝統や生活様式が変わるのには時間がかかるもので、例えばテネシー州では1975年に同州の最高裁判決により撤回されるまで、既婚女性は夫の姓を名乗らなければ投票登録ができないという州法が残っていた。

 既婚女性の姓について当時のテネシー州最高裁判所は、「生来の姓を保持してもよいし、夫の姓を選んでも良い。選択権はその女性のものである」との判断を下した。同最高裁のジョセフ・ヘンリー首席判事は意見書の中で、「慣習のルールを法に適用することで、急速に拡大する人々の自由における事実上すべての進歩を抑え込み、阻んでしまう。私たちは新たな日を生きている」と述べた。

 Googleの消費者調査によれば、現在では約20%の米国女性が結婚後も姓を変えず、10%の女性が正式には自分の姓と夫の姓をハイフォンでつなぐ複合性にするものの、普段は生来の姓名を使い続けている。

 ウーマンリブが盛んだった70年代は、男女平等の観点から意識的に改姓しない女性もいたが、現代では女性個人の好みや利便性が主な判断要素となって

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