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ただの校歌の歌詞に対して「政治的主張」という幻覚を見てしまった人たち

学校を「国民に対する思想教育を行う場」としか見ていないトンデモぶり

赤木智弘 フリーライター

 3月29日の産経新聞のコラム「産経抄」にかなり残念な内容のコラムが掲載されていた。

 コラムは次のような内容である。知人から電話があり「いやぁ、本当に良かった」と言われた。何が良かったのかと言えば「高校野球で東海大菅生が勝ったので、あの校歌を聴かなくて済んだ」という喜びの声だったという。

 その「聴かなくて済んだ校歌」の高校とは、その日東海大菅生高校に敗れた京都国際高校である。

高校野球に「政治」を持ちこんだのは誰か

拡大東海大菅生との試合終了後、整列する京都国際の選手たち=2021年3月27日、阪神甲子園球場

 なぜ件の知人は、京都国際高校が敗れて喜ぶほどに、校歌を聴きたくなかったのだろうか。

 京都国際高校は韓国人学校を前身としており、2004年に学校教育法第一条に定められたいわゆる「一条校」として認可されたという歴史がある。そのことから今でも校歌が韓国語で歌われている。その歌詞が冒頭から「東の海を渡りし」(日本語訳)とあることから、ネットの一部界隈で「日本海を東海と呼ぶとは何事だ!」と騒ぐ人たちがいたのである。

 なお、歌詞は「東の海を渡りし 大和の地は 偉大な祖先 古の夢の場所」と続くので、自らのルーツに誇りを持ちつつ、日本という国に十分敬意を払っている内容である。

 さらにコラムでは「日本海呼称問題」を持ち出し、「東海」とは韓国政府が世界に強要している「いわくつきの単語」として紹介した上で、知人が「高校野球に政治を持ち込んだ」と主張しているとする。

 そしてこのような校歌を許している日本は寛容だとし、寛容も度が過ぎると非寛容な人たちに付け入れられると、コラムを〆ている。

 このコラムを読んでまず思ったのは「浅ましい心情の人たちがいものだ」ということだ。「その高校を校歌を聴かなくて良いから、相手高校が勝って良かった」というのは、あまりに高校野球をバカにしてはいないか。京都国際高校に対して失礼なのはもちろんだが、勝った東海大菅生高校に対しても失礼である。

 応援している高校が勝って喜ぶなら当たり前だが、別に勝った学校を応援していたわけでもなく、自分の単純な好き嫌いで誰かの負けを喜ぶというのは、非常に趣味の悪い話である。

 もちろん、自分の家で酒でも飲みながら「ざまーみろ」と野次るのは自由だが、よくもそんな恥ずかしいことを堂々と新聞のコラムに書こうと思ったものである。

 次に、コラムではまるで京都国際高校が高校野球に政治を持ち込んだかのように言われているが、それは本当だろうか? 京都国際高校の生徒たちは甲子園で勝った高校が校歌を歌うのと同じように、自校の校歌を歌っただけのことである。

 そもそも校歌の歌詞に歌われる国や土地の名前は、正式名称ではないものも多い。Google「太平洋 校歌」で検索すると、Pacific Oceanを太平洋と呼んで校歌の歌詞に採用している学校はあるが、その歌詞は「Pacific Oceanではなく、Taiheiyouと呼ぶべきだ」と主張しているということではない。

 ところが、ただの校歌の歌詞に対して「政治的主張」という幻覚を見てしまったのが、件の知人であり、コラムの作者である。なぜそんな幻覚を見るかと言えば、彼らは学校を子供を社会に対応できるように育てる場ではなく、「国民に対する思想教育を行う場」として見ているからである。

 彼らは「韓国人の学校は韓国政府の意図通りに運営されているはずだ」と思い込んでいるから、学校の校歌までもが政府の要請に従った形で作られているかのようなトンデモ思想に至るのである。

 だいたい、高校野球で歌われる校歌を聴くのが嫌なら、テレビのチャンネルを変えれば良い。もし甲子園球場にいるならイヤホンで別の曲でも聴いていれば良い。京都国際高校の球児たちが校歌を歌ったところで、それは他人にそれを聴いたり歌ったり、ましてや日本海を東海と呼ぶことなどを、誰にも強制していないのである。

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筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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