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脳性麻痺の箱石充子さんはどのように「自立生活」を手にしたのか

『充子さんの雑記帳』の若者との交わりから見えるもの

土橋喜人 宇都宮大学客員教授・スーダン障害者教育支援の会副代表理事

「自立」のために施設へ、宇都宮へ

 一人暮らしを始めるにあたって、先ず住まい探しから難航した。しかし、とある不動産屋さんが、筋ジストロフィーの会をご存じの方で、直ぐに契約が可能となった。

 生活のお手伝いをしてくれる人も探さなければならなかった。市役所から週2回1時間ずつヘルパー(当時は家庭奉仕員と呼ばれていた)の派遣が可能となったが、それでは不十分であり、大学や専門学校に行って、ちょっとしたことを頼む「ボランティア」をつかまえては生活に必要な手助けをしてもらった。初めて声掛けしたのは宇都宮大学の女子学生で、その後のボランティアも宇都宮大学の学生が主であった。初めて声掛けした学生とは今も親交があり、毎年、誕生日には電話をしているという。

 ある時は市役所に行くにあたって学生を2人従えつつ、「あなた方は黙っていて。私が交渉するから」と言い、既に認定されていた生活保護に住居費補助も加えるよう交渉した(頭数を揃えることで相手にプレッシャーをかけた)。また、ある時は眼鏡屋で、店員が同行してくれた学生さんと話すので、「私が話すからあなたは黙っていて」と学生に伝え、店員に「眼鏡を買うのは私。私に説明してほしい。」と訴えた。敢えて、(ヘルパーを介してではなく)どこに行っても自分で話をした。障害者本人ではなく付き添いの人と話をするということは、現在でもよく起きるケースである。

 自立には様々な形がある、と箱石さんは訴える。収入を得る経済的な自立だけではなく、何らかの形で“自立”することが重要だという。それは、自分の主張ができること、介護者を見つけて自由に外出すること、自分に出来ないことを伝えて周囲に協力してもらうこと、等である。

 別の解釈をすれば、障害による制約があっても、みずから意志決定をして生きていくことが重要なのであり、その意志を実現する為に他人の手を借りたとしてもそれも自己決定による「自立」であるということである。障害者が健常者と全く同じことをすることが重要ではなく、「障害者としてどう生きるか」(どう意志決定をするか)ということが重要なのだと言えよう。

「箱クラブ」に学生が集う

 筆者も所属する宇都宮大学の学生との継続的な付き合いが始まったのは自立生活開始から3年後(1991年)くらいだったという。前述の通り、自立生活を始めるにあたって、最初に声をかけたのも宇都宮大学の学生であったし、その後も主なボランティアは宇都宮大学の学生であった。ボランティアに来てくれる学生が新たな学生を連れてきて、メンバーが増えていった。毎年、20人くらいの学生が「箱クラブ」に入ってくれるようになった。宇都宮大学には様々な学部があり、学部に関係なく学生たちは来てくれていた。

 初期の頃のボランティアの1人であった伊藤陽子さん(宇都宮大学教育学部93年卒)に話を聞くことができた。

インタビュー時の(左から)宮坂真耶さん(宇都宮大学学生=インタビュー当時)、箱石さん、伊藤陽子さん拡大インタビュー時の(左から)宮坂真耶さん(宇都宮大学学生=インタビュー当時)、箱石さん、伊藤陽子さん

 伊藤さんは、最初に声をかけられて手伝うようになったYさんとはたまたま「手話を学ぶ会」の先輩後輩にあたるとのことだったが、「箱クラブ」

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筆者

土橋喜人

土橋喜人(どばし・よしと) 宇都宮大学客員教授・スーダン障害者教育支援の会副代表理事

札幌市出身。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。民間銀行、青年海外協力隊を経て、JETROアジア経済研究所開発スクール(IDEAS)および英国マンチェスター大学開発政策大学院(IDPM)修士課程を修了後、特殊法人国際協力銀行(JBIC)および独立行政法人国際協力機構(JICA)にて正規職員として勤務。2020年に宇都宮大学大学院工学研究科博士後期課程(システム創成工学専攻)を修了。博士(工学)。現在、都内の複数の大学の非常勤講師を兼務。 【Facebook】土橋喜人【Twitter】Yoshito Dobashi, @tomasidobby

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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