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デジタル教科書への転換による学力低下リスク

読解における紙の優位性を示す科学的根拠に目を向けよ

大森不二雄 東北大学教授

 政府は2024年度からデジタル教科書を本格導入する方針であり、2021年3月に公表された文部科学省の検討会議による中間まとめ(文部科学省 2021)は、紙の教科書を全てデジタル教科書に置き換える案、デジタル教科書と紙の教科書を併用する案等を示した。本稿の目的は、読解や深い思考の促進などの面で紙のデジタルに対する優位性を示す科学的根拠(エビデンス)が豊富に存在することを明らかにし、教育のペーパーレス化といった軽いノリで無謀な政策に踏み出せば、日本の子供達を学力低下のリスクにさらしかねないと警鐘を鳴らすことにある。

ICT授業の研修に参加した教員のパソコンには、ほかの参加者が投稿した課題の答案が瞬時に映し出されていた=2020年8月31日、新居浜市一宮町ICT授業の研修に参加した教員のパソコンには、ほかの参加者が投稿した課題の答案が瞬時に映し出されていた=2020年8月31日、新居浜市一宮町

 なお、あらかじめ誤解のないよう申し上げると、筆者は、AI教材をはじめ、教育効果のエビデンスに基づくICT活用を推進すべきとの基本的立場に立っている。だが、「ICT活用=デジタル教科書」ではない。学習において死活的に重要な「読む」という行為については、同様にエビデンスに基づき、紙という最適のメディアを主とすべきで、わざわざデジタルに置き換える愚を犯すべきでないことを主張するものである。

デジタル教科書に前のめりの政府

 日本の法制上、デジタル教科書とは、紙の教科書の内容の全部をそのまま記録した電磁的記録であるとされ、2018年の学校教育法改正により制度化され、2019年度から教育課程の一部において紙の教科書に代えて使用できるようになった。しかし、その普及状況は、文部科学省(2020)の調査によると、2020年3月1日時点で、公立小学校7.7%、公立中学校9.2%にすぎない。

 こうした中、いわゆる「GIGAスクール構想」がデジタル教科書の導入を加速することになった。既にコロナ禍以前の2019年12月、政府は、社会全体のDX政策を「デジタルニューディール」と名付けて打ち出し、教育デジタル化を目玉の一つと位置付けていた。その具体策が児童生徒1人1台端末の配備や高速大容量の通信ネットワークの整備等を推進する「GIGAスクール構想」であり、令和元年度補正予算に2,318億円を計上していた。さらに、コロナ対策のための令和2年度補正予算で同構想に2,292億円を追加計上し、同年度内に1人1台端末の配置完了を目指すなど、取組が加速されることになった。

 2020年10月、平井卓也デジタル改革担当大臣は、河野太郎行政改革担当大臣及び萩生田光一文部科学大臣との意見交換において、「GIGAスクール構想により、1人に1台の端末が配備されることを前提に、教科書については原則デジタル教科書にすべきではないか」と提起するとともに、デジタル教科書の使用を各教科の授業時数の2分の1未満とする制限の見直しを求めた(内閣府 2020)。これを受けて、文科省は、2021年3月、この制限を撤廃する制度改正を行い、同年4月より施行した。

 また、文科省の設置した有識者会議「デジタル教科書の今後の在り方等に関する検討会議」は、2021年3月の中間まとめ(文部科学省 2021)において、「次の小学校用教科書の改訂時期である令和6年度を、デジタル教科書を本格的に導入する最初の契機として捉え」るとし、紙の教科書との関係について、次の5つの組合せを例示した。

・全ての教科等において、デジタル教科書を主たる教材として使用する(紙の教科書を全てデジタル教科書に置き換える)
・全て又は一部の教科等において、紙の教科書とデジタル教科書を併用する
・発達の段階や教科等の特性の観点を踏まえ、一部の学年又は教科等においてデジタル教科書を主たる教材として導入する
・設置者が、学校の実態や、紙の教科書とデジタル教科書それぞれの良さや特性を考慮した上で、当該年度で使用する教科書を紙の教科書とするかデジタル教科書とするかを選択できるようにする
・全ての教科等において、デジタル教科書を主たる教材として使用し、必要に応じて、紙の教科書を使用できるようにする(学校に備え付けた紙の教科書を貸与する、紙の教科書で学習する方が教育効果が高いと考えられる部分に限定した紙の教科書を配布する等)

 一見、多様な選択肢が示されているようにも見えるが、「紙の教科書を全てデジタル教科書に置き換える」から始まり、「デジタル教科書を主たる教材として使用し、必要に応じて、紙の教科書を使用できるようにする」で終わっていることからも分かる通り、デジタル教科書を「主」とし、紙の教科書を(仮に全廃しないとしても)「従」とする方向性は明確である。教科書のデジタル化に前のめりと言わざるを得ない。

 問題は、デジタル教科書に前のめりの政策が科学的根拠(エビデンス)に基づいているかどうかである。児童生徒が日々読んで学ぶ教科書を紙からデジタルに切り替えることは、これまでの教育改革施策とはわけが違う一大変革であり、プラス・マイナスいずれにせよ極めて大きな直接的影響を子供達の学力に与える可能性がある。証拠に基づく政策立案(Evidence-Based Policy Making: EBPM)の推進を謳う政府であれば、エビデンスに基づく検討を行うのは当然である。

 ところが、現実には、本稿が以下で紹介するエビデンスに反する政策を強行しようとしているとしか思えない。文科省や有識者会議は、山のように豊富なエビデンスの存在に気付いていないのか、あるいは気付いているにもかかわらず無視を決め込んでいるのか、いずれにせよ信じ難い現状である。

デジタルよりも紙の方が読解に有益との科学的根拠

  デジタル媒体(パソコン、タブレット、スマートフォン等)と紙媒体の読解に関する比較(文章を読んだ後テスト等によって内容理解を測定)については、小学生、中学生、高校生、大学生等の各学校段階について世界各地で数多くの研究が行われてきている。多数の関連研究の結果を統合して分析するメタ分析による総合的な研究成果が、近年3つの論文として別個に公刊され、いずれも紙媒体で読んだ方がデジタル媒体で読んだ時よりも高い読解(内容理解)を示すとの知見を明らかにしている。

 まず、これら3つのメタ分析の中でも特に大規模なもの(Delgado, Vargas, Ackerman & Salmerón 2018)について、研究成果を紹介する。

 分析対象となった諸研究は、2000年から2017年に結果が公表された54の研究で、これらの研究が調査対象とした学生・生徒等の合計人数(サンプル数)は、約17万人に上る。その内訳は、大学生が6割強、4割弱が小学生・中高生である。その結果、デジタル画面上で読んだ場合の文章理解が紙に書かれた文章を読んだ場合に比べて劣ることは明白となった。両媒体間の読解の差は、なんと小学生1学年分の3分の2にも達する差であったという。

タブレット端末に入ったデジタル教科書。画像の拡大や音声読み上げの機能があるものもタブレット端末に入ったデジタル教科書。画像の拡大や音声読み上げの機能があるものも

 この分析のサンプルにおいて小学生・中高生よりも大学生の割合が大きいことが気になるかもしれないが、紙とデジタルの読解の差について年齢層による違いは見られなかったとされている。また、社会のデジタル化の進展に伴い、デジタル・ネイティブなどと呼ばれる新しい世代ほど紙とデジタルの差が小さくなる、もしくは逆転するのではないかと思われるかもしれないが、事実は逆で、分析対象となった18年間(2000年~2017年)にその差(紙の優位、デジタルの劣位)は拡大したという。

説明文の読解では紙の優位は更に拡大する

 もう一つのメタ分析(Kong, Seo & Zhai 2018)は、読解に加えて読むスピードを比較している。結論から述べると、上述の分析と同様、読解についてデジタル媒体に対する紙媒体の明白な優位が確認された。他方、スピードについては有意差が見られなかったという。

 分析対象となったのは、2003年から2016年の間に論文として公表された17の研究で、国別の内訳が明らかにされており、米国の6研究が最多で、イスラエルとノルウェーが各2研究、スウェーデン、スカンジナビア諸国、ドイツ、英国、フランス、スイス、韓国が、各1研究ずつとなっている。やはり高等教育レベルの学生を対象とする研究が11と多いが、初等中等教育レベルの児童生徒を対象とする4研究も含まれている(その他2研究)。読解比較のサンプル数は計4,800超、スピード比較のサンプル数は約1,400であった。

 上述の2つの分析よりも新しく、デジタル媒体と紙媒体の比較としておそらく最新のメタ分析(Clinton 2019)は、2008年~2018年の間に公表された33の研究(対象は小学生・中高生・大学生・成人と多様)を分析対象としているが、読解(サンプル数:約2,800)についてやはり紙媒体の明白な優位性を見い出している。

 そして、説明文の読解に限るとその差は更に拡大する(物語の読解については有意差が見られない)という。また、自らの読解成績に関する予測(メタ認知)は、紙媒体の方が正確で、デジタル媒体だと自信過剰の傾向が見られたとしている。なお、読むスピード(時間)については、上述の分析と同様、両媒体間で有意差がないことが確認されている。これらの結果から、デジタル画面から読むよりも、紙から読む方が、読解の成果に関して効率的と考えられる旨、結論付けている。

 以上のメタ分析とは異なり、単一の実証研究として、ノルウェーの10歳児1,100人超という大規模なサンプルを対象とした調査研究の結果(Støle, Mangen & Schwippert 2020)においても、読解テストの成績はデジタルが紙を下回った。あらゆる学力レベルの児童についてそうなったが、特に女子児童の高得点層において紙とデジタルの差が顕著であったという。

 また、米国のミドルスクール3校の第5学年から第8学年(日本の小学校5年生から中学校2年生に相当)の生徒計371人を対象とした研究の結果(Goodwin, Cho, Reynolds, Brady, & Salas 2020)においては、500語(概ね1頁程度)を超える長文の場合、読解におけるデジタルに対する紙の優位性が確認された。児童生徒は、学年が上がるにつれ、より長い文章を読まなければならなくなることから、重要な知見である。

読解における紙の優位に無自覚でデジタルを好む子供達

 さらに、要注意の研究成果も出てきている。イスラエルの小学校5・6年生(計82人)を対象とした調査研究(Golan, Barzillai & Katzir 2018)によると、読解において紙の方がコンピュータに勝るにもかかわらず、子供達はコンピュータで読む方を好むとの結果となっている。

 また、別の実証研究(Halamish & Elbaz 2020)は、イスラエルの小学校5年生38人を対象とした調査の結果、読解におけるデジタルに対する紙の優位性は、各児童が紙とデジタルのどちらを好むかに関わらず、コンピュータ利用習慣とも無関係であることを見い出している。

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