3・11から10年、大熊町の木村紀夫さんが伝えたいこと
[5]学校の避難マニュアル、電気に頼らない生活、そして命
三浦英之 朝日新聞記者、ルポライター
連載「福島と沖縄 ジャーナリズムの現場から」
「ここが熊町小学校です。私の次女の汐凪(ゆうな)が通っていた学校です。見えますか?」
未曽有の原子力災害を引き起こした東京電力福島第一原発から約4キロ。枯れ草に覆われた福島県大熊町の熊町小学校の校門近くで、木村紀夫(のりお)さんは自撮り棒の先に取り付けたスマートフォンに向かって呼びかけた。
画面には、約300キロ離れた長野県白馬村の白馬中学校の生徒たちが並ぶ。木村さんが企画したオンライン会議システム「Zoom(ズーム)」を使ったリモート授業だ。

大熊町の現状を白馬中学の生徒にリモート授業で伝える木村紀夫さん=2020年11月、福島県大熊町、撮影・筆者
「私が生まれ育った大熊町は、東日本大震災の原発事故で、今も多くの地域が自由に立ち入れない『帰還困難区域』になっています。この小学校もそう。現在の校門の放射線量は約2マイクロシーベルトですが、校庭は線量が高くて、8~10マイクロシーベルトになるときもあります」
政府が長期目標とする一般人の年間の追加被曝線量は毎時0.23マイクロシーベルト。校門の値はその約10倍、校庭は約30~40倍を意味する。
スマートフォンを掲げて校舎に近づく。教室にはランドセルや国語辞典などが震災当時のまま放置されている。
木村さんは窓越しにそれらの様子を動画で撮影しながら、当時の状況を説明していく。
「長女の舞雪(まゆ)は当時小学4年生で、この教室で授業を受けていました。次女の汐凪は小学1年生で……」
木村さんの言葉が一瞬詰まる。そして約4秒間、小さく深呼吸してからナレーションを続けた。