[5]学校の避難マニュアル、電気に頼らない生活、そして命
2021年04月14日
「ここが熊町小学校です。私の次女の汐凪(ゆうな)が通っていた学校です。見えますか?」
未曽有の原子力災害を引き起こした東京電力福島第一原発から約4キロ。枯れ草に覆われた福島県大熊町の熊町小学校の校門近くで、木村紀夫(のりお)さんは自撮り棒の先に取り付けたスマートフォンに向かって呼びかけた。
画面には、約300キロ離れた長野県白馬村の白馬中学校の生徒たちが並ぶ。木村さんが企画したオンライン会議システム「Zoom(ズーム)」を使ったリモート授業だ。
「私が生まれ育った大熊町は、東日本大震災の原発事故で、今も多くの地域が自由に立ち入れない『帰還困難区域』になっています。この小学校もそう。現在の校門の放射線量は約2マイクロシーベルトですが、校庭は線量が高くて、8~10マイクロシーベルトになるときもあります」
政府が長期目標とする一般人の年間の追加被曝線量は毎時0.23マイクロシーベルト。校門の値はその約10倍、校庭は約30~40倍を意味する。
スマートフォンを掲げて校舎に近づく。教室にはランドセルや国語辞典などが震災当時のまま放置されている。
木村さんは窓越しにそれらの様子を動画で撮影しながら、当時の状況を説明していく。
「長女の舞雪(まゆ)は当時小学4年生で、この教室で授業を受けていました。次女の汐凪は小学1年生で……」
木村さんの言葉が一瞬詰まる。そして約4秒間、小さく深呼吸してからナレーションを続けた。
私が初めて木村さんと出会ったのは2019年春だった。
東日本大震災で父と妻、7歳の次女を亡くした木村さんはその頃、生き残った長女の舞雪さんが原発事故による放射能の影響を受けぬよう、故郷の大熊町から直線距離で約300キロ離れた長野県白馬村の古いペンションを買い取り、そこで2人で生活していた。
取材で訪れた私に、木村さんは当時の記憶を丁寧に回顧してくれた。
2011年3月11日、木村さんは隣の富岡町の仕事場にいた。激震の後、大熊町に戻ると、海辺から約100メートル離れた自宅は跡形もなく流されていた。
避難所に指定されていた町の体育館に向かうと、母の巴(ともえ)さんや当時10歳だった長女の舞雪さんとは会えたが、父の王太朗(わたろう)さんと妻の深雪(みゆき)さん、7歳だった次女の汐凪ちゃんの行方がわからなくなっていた。大熊町内の他の避難所や病院を捜したが見つからない。
午後7時ごろ、自宅周辺の捜索に向かった。
「汐凪ー、深雪ー」
「いたら声を上げてくれー」
夕闇に向かって大声で叫ぶが、返事がない。
しばらくすると、自宅の裏山からドーベルマンの飼い犬「ベル」が砂だらけで飛び出してきた。普段とは違い、首にリードを付けている。
嫌な予感がした。
「地震後、誰かが自宅に戻り、ベルを外に連れ出して逃げようとしたんじゃないか。そのときに津波にのみ込まれたんじゃ……」
夜を徹して捜索を続けたが、結局3人は見つからなかった。
翌朝、福島第一原発が危機的状況に陥り、木村さんは母や長女と一緒に大熊町からの避難を強いられた。
1週間後、木村さんは避難していた妻の実家のある岡山県から、3人を捜索しようと大熊町に戻ろうとした。しかし、原発から約30キロ圏手前で警備員に止められ、近づくことさえできなかった。行方不明になっている3人の写真と自分の携帯番号を記したチラシを作り、避難所などに配って回った。
4月末、自宅近くで父の王太朗さんの遺体が見つかった。そして6月、4月中旬に海上で見つかっていた遺体がDNA鑑定の結果、妻の深雪さんのものだと判明した。
木村さんが携帯電話で警察から連絡を受けたとき、隣には長女の舞雪さんがいた。全身を震わせ、両目から大粒の涙がこぼれているのに、口を大きく開けたまま、声が出せない。舞雪さんはベッドの布団に潜り込んで、しばらくの間泣き続けた。
木村さんは翌春に舞雪さんを連れて長野県の白馬村に移り住んだ後も、まだ見つかっていない汐凪ちゃんを捜しに、毎週のように片道約7時間かけて大熊町へと通い続けた。
防護服を身にまとい、シャベルを使って汗まみれになりながら、自宅周辺や海沿いの土を掘り起こす。ボランティアも加わり、捜索で発見された靴や衣服などの遺留品は全部で約50点。2013年12月には、妻の字で「熊町小 1年2組 きむらゆうな」と書かれたゼッケンがついた青色のジャージーも見つかった。
そして2016年12月9日、自宅近くのがれきの下から、子ども用のマフラーにくるまれた小さな首とあごの骨が出てきた。
「このマフラー、覚えているか」
木村さんが聞くと、
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