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松山英樹が世に投げかける「最後に頼る武器は何か」

人ひとりの人生体験だけでは身につかない大事な生き様

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

 グリーンジャケット。松山英樹選手の快挙とその要因、本人や周囲のコメント、はすでにスポーツ報道として様々語られており、それは割愛する。松山自身が述べた「次に続く若い人たち」にとどまらず、世の人が広く受け取ってほしい本当のメッセージは、次の週からの松山の姿だ。いっときの凱旋帰国ののち、休む間もなく荷物をまとめて次の戦地に向かい、好成績と不振とケガとトレーニングを続けるワールドツアーの一選手・H.Matsuyama。それこそが若者たちの受け取るべき真に大事なメッセージだと思う。

マスターズに優勝し、オンライン会見に臨む松山英樹選手=2021年4月14日

〝一生に何度もない勝ち〟が見えた状況で、人が最後に頼る武器は何か

 日本人初の云々、を喜ぶのは一瞬でいい。世界の歴代名選手たちの言を待つまでもなく、松山のメジャータイトル獲得は世界中が期待していたものだ。日本国籍グローバルアスリートのあるべき捉え方、そこから自称日本人が得るべきもの、もこれまで拙稿にて様々論じてきたので割愛する。

 今回、松山が図らずも、ライブ中継を通じて世の人々とくに若者へ、訴えたメッセージがある。それは「一生に何度もない〝勝ちが見えた〟状況で、人が最後に頼る武器は何か」ということだ。

 日本では月曜朝にライブ中継された、サンデーバックナイン(最後の9ホール)のメロメロぶりは、本人コメントも含めた報道のとおりだ。少年時代以来蓄積したあらゆる準備を繰り出した上での、彼の最後の武器は「ミスしないで打つ」だったことを、彼もインタビューで繰り返し述べている。プロゴルファーの具体的なテクニックの変化を見て取る眼は筆者にないが、ショットをまっすぐ(曲げずに)打つ、アプローチ~パットの距離をあわせる、ミスはすべて防ぐが気持ちだけは攻める、と、やることを極力少なくしたことは明確に見て取れた。そして、苦しみながら逃げ切って、勝った。

「人生を賭けた瞬間」の最後のメンタリティーに学べ

 その姿は、20年前の風景と重なった。

 2001年7月、テニスのウインブルドン男子決勝戦、4時間の激戦の末にゴラン・イワニセビッチ選手(クロアチア)がパトリック・ラフター選手(豪州)を破り、四大大会たった一度の優勝を遂げた時の、その彼の最終盤の姿だ。30歳、徴兵(同国での許容年限)前最後の出場(14回目)、世界125位からの4度目の決勝戦、最初で最後のグランドスラムタイトルを目前にした彼。世界最高速の弾丸サービスを武器とする彼が最終盤に選択したのは、1種類の球種とコースに絞り、威力を落として確率を上げたサービス(具体的には、ファーストサーブが相手バックハンドへのスライスサーブ、セカンドサーブが相手フォアハンドへのスピンサーブ)をコート内に入れることだけ、だった。

 元世界2位の手が震えてラケットが握れなくなり、そのサービスすらも多くがコートに入らず、泣きながら球を打ち、そしてもつれた試合を勝ち切った。もはや相手(元世界1位)の力量はほぼ関係なく、イワニセビッチのサービスがコートに入るか入らないかだけ、のテニスとしては特殊(ゴルフ類似?)なメンタル状態になった最終盤だった。

 テニス史上最高のビッグサーバー(年間サービスエース本数は現在も歴代最多記録)の最後の武器は、「弾丸サービスを信じて打つ」ではなく、「なんでもいいからサービスを入れる」だったのだ、それが人生を賭けた瞬間の最後のメンタリティーなのだ、とその時観戦して思った。

イワニセビッチ選手 cjmac / Shutterstock.com

人ひとりの人生体験だけでは身につかない大事な生き様

 その自分との戦いのメンタリティーを、20年後、見ることになった。「練習を信じる」「ギアを下げる」「リラックスする」「産みの苦しみ」は、言うは易し行うは難しだ。膨大な

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