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脳卒中の実態を解明した疫学調査「ヒサヤマ・スタディー」

健康診断データを積み重ねた60年の軌跡

大矢雅弘 ライター

 福岡市の東部に隣接し、田園地帯が広がる人口約9000人の福岡県久山町。この町では九州大学医学部第二内科の医師たちによる「久山町研究」が1961年から続いている。「ヒサヤマ・スタディー」の名で世界に誇るこの調査は、精度の高い生活習慣病の疫学研究として知られる。

 脳卒中の実態解明をしたのをはじめ、生活習慣病の代表格である糖尿病やその予備軍の人は、アルツハイマー病になる危険が高いことを明らかにするなど、数々の成果を上げてきた。圧倒的な量と質の「健康診断データ」が積み重ねられた60年の軌跡をたどる。

海堂尊の小説『ナニワ・モンスター』のモデルに

 久山町が町ぐるみで取り組む疫学研究は、地域・職域などの人間集団内で病気がどのように起こっているかを調べ、病気の予防や健康増進に役立てる研究だ。久山町研究は医師で作家の海堂尊さんも小説『ナニワ・モンスター』のモデルにした。久山町民の健診と健康指導の拠点、ヘルスC&Cセンターでは3月、久山町研究の60年を振り返る「ひさやまの、ひとびとの、ひびをつむぐ。『ひひひ展』」が開かれた。

久山町の「健康のまちづくり」をつないできた歴史や人々の思いなどを紹介した「ひひひ展」の会場=2021年3月12日、福岡県久山町

 「ひひひ展」では、「久山町研究・健診事業のはじまり」との見出しで、「そのきっかけは、町民の健康を願う江口浩平町長と、当時死因が第一位であった脳卒中の正確な診断について地域の一般住民を対象とした調査を必要としていた九州大学の、『ふたつの思い』が一致したことでした」と紹介している。

 1950年代の日本では、脳卒中が死因の第1位を占めていた。このうち、脳出血による死亡率が脳梗塞の12.4倍と欧米と比べたときに突出していたため、データの信頼性に疑義が生じていた。当時はまだ日本に、脳卒中の実態を示す科学的データがなかった。そこで第二内科教授の勝木司馬之助氏が、特定地域の全住民を追跡調査して脳卒中の実態を解明しようと考えた。

 日本人の脳卒中の実態を知るには、研究対象が特殊な地域であってはならない。その点、久山町は当時の人口が約6500人で、40歳以上の年齢別人口割合、人口構成、就労人口の職業構成、出生率、死亡率が平均的数値で、日本のごく平均的な町で全国のモデルになると考えられた。おまけに人口移動が年間4%足らずで町民の移動が少なく、長期的な追跡調査がしやすいと考えられた。九州大学から車で30分ほどと距離が近いという利点もあった。

 久山町の初代町長の江口氏は、自ら町民の死亡要因のデータを表にまとめるなど、町民の健康向上を大きな課題としていた。勝木教授が江口氏を訪ね、意気投合。町議会の了承も得て1961年4月、九州大学は脳卒中の危険要因を明らかにして予防し、その成果を町民の健康管理に還元する目的で久山町研究をスタートさせた。

群を抜いて高い久山町の受診率

 久山町の2019年度の特定健診の受診率は63.8%。「ひひひ展」では、福岡県の34.2%、東京都の44.2%、大阪府の30.1%といった数字も示し、久山町民の受診率が群を抜いて高いことを誇らしげに示していた。久山町では毎年の特定健診のほかに、5年に一度、40歳以上の町民全員を対象にした一斉健診もする。一人当たり2時間半ほどかけて人間ドック並みの約20項目を検査する。驚くべきことに健診当日に検査結果が伝えられ、10分~30分間ほどかけて、医師による詳しい診察・結果説明とともに保健師や管理栄養士による健康指導をしている。

 さらに、毎週土曜日には、持ち回りで久山町研究室のスタッフが町内5軒の開業医を巡回し、町民がどんな病気で受診しているかを把握する。町外の病院に入院する住民も回る。巡回結果は研究室の日誌に記載され、翌週月曜日のミーティングで共有される。このほか、平日の日中には久山町研究室のスタッフが交代で治療などについての質問や相談にのる。電話による無料の健康相談にも応じており、相談件数は年に300~400件にのぼるという。

 5年ごとの一斉健診では、その年までに新たに40歳を迎えた人たちも順次加えられる。その後、健診受診者全員に調査の同意を得て、継続的に追跡調査が始まり、健康状態をチェックされ、病気の発症や死亡者、死亡原因などを調べていく。特筆に値すべきなのは追跡調査の徹底ぶり

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