札幌地裁判決の読み方と「24条」のこれから
2021年04月23日
国が同性婚を認めていないことについて、同性カップルが国家賠償を求めていた訴訟で、3月17日、札幌地裁が注目すべき判決を出した。国家賠償は認めず、原告の請求は棄却となったが、「同性婚を認めないことは違憲」と明言する判断だった。
当事者にとってこの判決はどういう意味をもつのか。これについては朝日新聞の「耕論 婚姻制度は誰のために しないと守れないものがある?」で、ロバート・キャンベルさん、王谷晶さん、筆者の3名の見解が取り上げられているので、参考にしていただければ幸いである。
3月の札幌地裁判決は、同性婚を認めていない現行の民法制度は憲法24条(「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」)には反しないが、14条(「法の下の平等」)に反する、との判断を示した。憲法違反と判断するにあたって、24条ではなく14条に焦点を絞ったことは、現段階においてはじつに賢い割り切りだったと筆者は思う。もちろん、その根底には「これは24条の表層の文言よりも重要度の高い、不平等の問題が生じている」という「裁判官の良心」による判断があっただろう。
国が同性婚を制度として認めない理由としては、かつてはあからさまな差別や排除の感情を掲げる公人もいたが、最近では、日本の文化的伝統、憲法24条が異性婚のみを認めているように読めること、法律婚ができなくても当事者には実質的には不利益がないこと、などが理由として語られることが多い。相続などについては、契約や遺言によって婚姻カップルと同じような利益を得られるので、裁判で争うほどの実益はないという考え方である。
これに対して今回の判決は、こうした個別の利益・不利益を論じず、同性カップルが「結婚という身分関係」から排除されていることそのものを問題としている。
同性婚の制度化については、今後、国会で真摯な議論が行われる必要がある。この時、「同性カップルにとっての問題は、この不利益を解消したいということですね」と問題の一部が切り取られて論点化され、それについて婚姻とは別の代替措置が提案され、「不利益は緩和されたので婚姻制度の改正を求める実益はない」という丸め方がされる可能性もある。たとえば夫婦別姓が制度上認められていないことを違憲として争っている訴訟でも、国や裁判所は「通称を使うことで不利益は緩和されている」、だから現行制度のままでも違憲ではない、と答えている。
今回の判決は、その流れに乗らないロジックをとっている。筆者はこの点では、この判決が敢えて骨太な論理構成をとったことに感銘を受けた。
今回の判決の24条論の部分は、24条は同性婚を想定していない、だから国がこれを制度化することは要求もしていない(が禁止してもいない)、だから同性婚の制度がないことは違憲ではない(が同性婚に道を開くことは24条に反しない)、という見解と読める。
つまり同性婚を制度として認めるべきかどうかについて、24条は議会(民主主義の成り行きないし主権者)に委ねている、という見解を、札幌地裁は採っている。
この読み方については、24条に限らず、憲法の文法とでもいうべき読み方がある。法律家以外の一般市民の方々で、ここでつまづいている人がいるかもしれない。
そこで、憲法の文法について、かいつまんで説明してみる。
憲法の人権保障の実現を託されているのは、裁判所だけではない。むしろ本来は、議会(国会や各自治体の議会)と行政(内閣や各自治体)がその担い手となるべきなのである。
憲法訴訟で問われるのは、国や自治体がやってはならない人権侵害をやってしまっているときに裁判所がダメ出しをすること(違憲無効の判決)、あるいは、本来ならやるべき人権保障の仕事をやっていないと考えられるとき、その怠慢に対して裁判所がダメ出しをすること(立法不作為や行政不作為を違憲と判断すること)、である。
どちらの場合にも、裁判所は議会や行政に「ダメ出し」をするところまでしかできず、議会に成り代わって法律を改廃することはできない。
こうした役割配分がある中で、「これは憲法違反ではないか」、という裁判が提起されたときの裁判所の憲法判断は、次のどれかになる。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください