西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者
1987年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長4期目。単著に『デューイと「生活としての芸術」―戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学学術出版会)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「親の義務」共同化で公教育の再定位を
「7時間授業がなくなって、あーよかった!」
こう言ったのは、筆者の娘(小5)である。昨年2月末の安倍首相の要請によって行われた一斉休校は3カ月に及び、その3カ月分の学習内容は休校解除後に取り戻すという策が取られた。そのまま授業時数をプラスするというのは子どもたちにとっても過酷なので、45分授業を40分に縮め、その分の5分間を集めてもう1時数プラスすることになった(京都市の場合)。
1日トータルの授業時間は変わっていないので、そこまで大きな負担には思えないかもしれないが、40分授業ではどうしても駆け足にならざるを得ないし、教室外で行う移動授業はよりその傾向にあったのではないか。冒頭の娘の言葉は、そうした学校生活に区切りがついたことへの安堵感だったのだと思う。
しかしながら3カ月分もの授業内容を「取り返した」ことの影響は、今後丁寧に見ていかなければならないだろう。果たして、子どもたちは授業内容を理解し、また理解することの楽しさを味わうことができたのだろうか。わからないことに「わからない」と言えたのだろうか。友達と一緒にいることは、単なる「感染リスク」以上のものであると感じられただろうか。
さて、休校解除後にわたしが見たのは、子どもたちの恐るべき順応性であった。7時間授業では、当然ランドセルも重い。マスクも息苦しいはずである。それなのに子どもはそれに慣れていく。公園で遊ぶのにも、誰もマスクを外さない。マスクを付けたまま運動部のスポーツができてしまう。
この順応性を教育者が、そして大人が悪用することがあってはならないと強く思う。すっかり「新しい生活様式」に順応しているように見える子どもたちから、よりリアルな声を聴き取る作業が今後必要であろう。また「新しい生活様式」に順応できない子どもを排除することがあってならない。こうした声の聴き取りは、「子どもの権利条約」(1994年批准)の12条「子どもの意見表明権」の実現に他ならない。