メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

3度目の緊急事態宣言を迎える子どもたちのために

「親の義務」共同化で公教育の再定位を

西郷南海子 教育学者

PTAの形骸化は逆にチャンス

 問題は、子どもの声を聴くという作業を誰がやるのかということである。学校現場は多忙であるし、学校という組織を自己点検、自己変革する思考が生まれにくいことは、これまで多くの論者が指摘してきた。となると、やはり保護者なのではないかと筆者は考える。筆者はPTA会長を3期務めているが、PTAという組織の形骸化が、逆にチャンスであると感じている。かつては地元の「名士」しか就くことのできなかった役職に、今ではわたしのような余所者のシングルマザーが就くことができるのである。

 筆者がPTAに可能性を見出すもう一つの理由として、全員加盟制の労働組合との類似性がある。基本的にすべての保護者が加入することが前提となっており、自動的に会費が徴収されるが、多くの保護者は自分が会員だという意識はほとんど持っていない。しかしながら、会則にのっとって運営される組織であり、学校管理職との話し合いの場を公的に持つことができる。いわば「団交」の権利があるということである。

 また徴収した会費の総額は大きく、子どもたちの学校生活に直接貢献できる。保護者一人一人が子どもの様子について学校に相談することはもちろんできるが、PTAの場合だと学校管理職と話し合った内容を、さらに全校に広めることができる。こうしたサイクルを重ねることで、保護者も学校運営に携わることができるという自信が生まれ、またそれは同時に学校に対する信頼にもつながる。

 前回の緊急事態宣言時(2021年1〜2月)には、筆者の子どもが通う小学校ではPTAから全校保護者にWebアンケートを行い、子どもの生活実態調査を行った。すると、子どもたちが家にいる時間は伸び、外にいる時間は減り、室内でゲームをする時間が増えているという明確な結果が出た(回答数193件)。これは、多くの保護者が予感していたことではあるが、実際にデータで裏付けられたとなると、次の行動指針になる。

 子どもの一生に一度の成長期に、のびのびと身体を動かすことは、子どものウェルビーイングに欠かせない。しかしながら、1回目の緊急事態宣言中は、子どもの外遊びに厳しい目が注がれたことは記憶に新しい。こうした状況を生きる子どもたちへ、大人はより丁寧な関わりをしなければならない。

 このようにPTAは、子どもたちの生活実態を学校と話し合い、より良い方向へと変えていく可能性を持っている。全国的に見ても、PTAは従来の義務制から任意性へと大きく変化を遂げつつある。学齢期のお子さんをお持ちの方は、ぜひ積極的な参加をお願いしたい。

「準備としての教育」を超えて

 さて、同アンケートでは、一斉休校後に気になることの項目として「子どもの授業理解度」が突出していた。なぜ保護者はそこまで授業理解度を気にするのか。それは言い換えれば、「勉強についていくこと」が子どもの将来に関わる問題であるという認識が根底にあるからである。

 1年生の勉強がわからなければ、2年生の勉強がわからなくなる、2年生の勉強がわからなければ、3年生の勉強がわからなくなる、というふうに私たちは思いがちだ。そしてこうした思考法が現在の教育制度そのものを駆動していると言わざるを得ない。

卒業式に手話で「旅立ちの日に」を披露する小学6年生=茨城県守谷市の市立郷州小学校 拡大卒業式に手話で「旅立ちの日に」を披露する小学6年生=茨城県守谷市の市立郷州小学校

 しかし、その「準備としての教育」に欠けているのは、果たして子どもは十分に「今」を生きているかという問いである。これは中学2年生の息子に言われたことであるが、「自分たちが大人になる頃には大学は定員割れするのに、どうして受験勉強をする必要があるのか」と。

 子どもは時に驚くほど冷めた目で社会を見つめている。「準備としての教育」では説明がつかなくなる日が、いずれ訪れるであろう。

 学校での勉強についていってほしいという保護者の願いは、学校に通うことが子どもの義務であるかのような語りと親和性を持つ。わたしは短大で非常勤講師をしているが、義務教育とは「子どもが教育を受ける権利」であり、「保護者が子どもに教育を受けさせる義務」であると説明すると、多くの学生が驚く。つまり彼ら彼女らの認識としては「子どもには教育を受ける義務」があり、「保護者には子どもに教育を受けさせる権利」があると思っているのである。これは正誤の問題というよりも、彼ら彼女らの実感なのだろう。

 つまりここで重要なのは、彼ら彼女らにとって教育を受けることが自らの権利であると感じられたことがなかったということである。

 ここで問いは本稿冒頭に戻る。コロナ休校解除後の猛烈な授業スピードは、誰のためだったのか。実際に文科省自身、授業字数の問題について次のように通知している。

 「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた学校教育活動等の実施における『学びの保障』の方向性等について(通知)」(2020年5月15日)

学校教育法施行規則に定める標準授業時数を踏まえて編成した教育課程の授業時数を下回ったことのみをもって、学校教育法施行規則に反するものとはされないとされていることも踏まえ、児童生徒や教職員の負担軽減にも配慮すること。(p. 4)

 つまり、授業時数が足りなくても、それだけでは教育法規違反にはならないのである。もしも、いろいろな調整をした上でも予定していた授業内容が終わらなかった場合は、「令和3年度又は令和4年度までの教育課程を見通して検討を行い、学習指導要領において指導する学年が規定されている内容を含め、次学年又は次々学年に移して教育課程を編成する」ことが可能になっている(前掲, p. 5)。

 しかし残念ながら、こうした対応が大きな議論になることはなかったように思う。わたしたちも十分に理解していなかった。

 ここでわたしは一人の保護者として、学校を動かしているのは誰なのかと疑問に思う。上記の場合はおそらく教育委員会なのだが、教育委員会も「市」の一組織であるので、市民の意見が反映されるものであってほしい。日本でもかつては、教育委員会は公選制であった。自分の子どもに関する学びなのに、保護者である自分の手が全く届かないというのもおかしなことである。単なる「準備としての教育」を超えて、子どもの一瞬一瞬の学びのきらめきを手に入れたい。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

西郷南海子

西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者

1987年生まれ。大阪国際大学短期大学部非常勤講師、滋賀短期大学非常勤講師、京都大学人文科学研究所研究員。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長3期目。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

西郷南海子の記事

もっと見る