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文化は「必要」だから支援するのか? いまこそ芸術家のためのニューディール政策を

世界大恐慌下で実践されたアーティスト雇用

西郷南海子 教育学者

 演劇・音楽・映画・美術の4業界の有志たちが「#WeNeedCulture」というプロジェクトを立ち上げた。プロジェクトでは、2021年2月10日付で、内閣総理大臣、財務大臣、経産大臣、文科大臣及び文化庁長官あてに公開質問状を提出した。内容は主に次の4点。

①持続化給付金の再支給

②文化芸術関係団体、フリーランスの個人への使途を問わない特別給付金の支給

③緊急事態宣言下における科学的根拠のない休業要請、時短営業や客席減への要請・働きかけを回避すること

④政府・自治体からの要請に応じた場合、事業規模に則した協力金を支給すること

 この他にも、「自粛」への協力金が払われていないことなど、同プロジェクトは多くの矛盾を指摘している。ところが、この質問状に対する文化庁の回答は、全く噛み合わないものであった。今後約800億円の「公演等への支援」を行うこととしているが、そもそも公演が開けないことが問題なのである。同プロジェクトは、この対応について「この通年で生じた赤字についての国の責任があいまいにされているのです。国の施策によって起きた被害をあえて認識しないという姿勢なのかという疑義も生じます」と語る。

 これでは、たしかに文化庁は文化を支援する気がないように思えてしまう。逆にどのような「文化」なら支援されるのだろうという疑問も生じる。

ライブ配信などでなんとか経営を維持しているジャズバーやライブハウスも多い拡大ライブ配信などでなんとか経営を維持しているジャズバーやライブハウスも多い

生命を耕す「カルチャー」

 「文化・芸術」と言うと、その語感からどうしても高尚なものだと思いがちだ。しかし、「文化・芸術」のイメージをほんの少しズラして見てはどうだろう。

 筆者は短大でのオンライン講義を担当しているが、1回目の授業は学生に趣味などを含めた自己紹介をしてもらった。すると「ライブに行きたい」という声が山のように上がった。主にはアイドルグループへの思慕であったが、ライブの感動というのは忘れがたいものである。いつもはパソコンやスマホで再生している曲が一度きりの「生」(live)で演奏され、本物の歌手を目の前に、観客は歓喜する。そして観客は手を振ったり、飛び跳ねたり、「横」の一体感で会場が包まれる。自分一人の生命が、他者の生命と触れて溶け合うような、得難い体験である。こうした瞬間をもたらすものこそ、生命を耕す「カルチャー」なのである。

 しかし現在は、どうだろうか。ライブが開けないことによって、ダメージを受けるのは歌手や演奏家だけではない。機材搬送をするトラック運転手、搬入スタッフ、スケジュール進行役、音響、照明と、少し書き出してみただけでも多くの人々が携わっていることがわかる。これらの人々は、果たして収入が補償されているだろうか。そうでないならば、どのような補償をすべきなのだろうか。本稿では外国の事例を見ながら、そのヒントを探りたい。何よりもまずこのコロナ禍を収束させることこそが、文化・芸術を取り戻す一番の方策であることは言うまでもないが。


筆者

西郷南海子

西郷南海子(さいごうみなこ) 教育学者

1987年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。神奈川県鎌倉市育ち、京都市在住。京都大学に通いながら3人の子どもを出産し、博士号(教育学)を取得。現在、地元の公立小学校のPTA会長4期目。単著に『デューイと「生活としての芸術」―戦間期アメリカの教育哲学と実践』(京都大学学術出版会)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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