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コロナに直面する地域の芸術祭~しぶとく、したたかに活動する地域、アーティスト

大地の芸術祭、いちはらアート×ミックス……人気の芸術祭のいま

前田礼 市原湖畔美術館館長代理/アートフロントギャラリー

 新コロナウイルス感染症の拡大は、美術界にもさまざまな影響を及ぼし、多くの展覧会や芸術祭、イベントが中止、延期となっている。

 コロナ禍が始まる前、日本は芸術祭ブームにあり、芸術祭が開催されていない自治体がほとんどないと言われるほど、ビエンナーレ(2年に1度)、トリエンナーレ(3年に1度)、単年の芸術祭が開催されていた。

内海昭子「たくさんの失われた窓のために」(C)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Photo: T. Kuratani

<田舎>を舞台にした日本の芸術祭

 ビエンナーレで有名なのは、130年近い歴史をもつ「アートのオリンピック」とも言われるベニス・ビエンナーレだが、芸術文化振興を目的とした海外の都市型の国際展に対して日本の芸術祭が大きく異なるのは、地域活性化に重点が置かれている点で、いわゆる<田舎>を舞台にした芸術祭が多く見られることである。

 その先駆けとなったのが、2000年に始まった新潟県の十日町市・津南町全域で3年に一度開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」である。

 総合ディレクターをつとめる北川フラムのもと、私もこのプロジェクトに裏方で関わってきたが、平成の大合併の一環で始まった新潟県の地域づくり施策の中で、都市のものと思われていた現代アートを使って過疎地を再生するというこの前代未聞の試みは、「税金を使って現代アートなんてわけのわからないものを田んぼの中につくるなんて、とんでもない」という地元の大反対のなかでスタートした。

 しかし、アーティストの奮闘、ボランティアたちの献身、<祭り>をつくりあげるための地域・世代・ジャンルを超えた協働が相乗しながら、次第に地元に根付いていった。なにより、アーティストが掘り起こし、光を当てる地域の魅力に、訪れた人々が感動し、そこに暮らしてきた人々の労苦や流れてきた時間を思い寿(ことほ)ぐ姿は、都市化による労働力の流出、過疎化、高齢化、国の農業政策の転換により、先祖代々の土地や文化を守り続ける気力を失いつつあった人々に、誇りと自信、地域への愛着を取り戻させるものだった。

 アートの場を発見する力、人と場、人と人をつなげる力が地域づくりに活かされる。それは、アーティストにも希望を与えるものだった。多くの世界的なアーティストたちが、大地の芸術祭の取り組みに積極的に参画してきたのである。

イリア&エミリア・カバコフ「棚田」 (C)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Photo: T. Kuratani

人気が高まった「アート旅」

 アートを道しるべに地域をめぐる。夏のまばゆい日差しのもと、東京23区よりも広い地域に点在するアートを求めて、草いきれを嗅ぎ、汗をかきながら、そこに待つ集落の人びとが用意した冷たい麦茶やお漬物やスイカをいただき、言葉を交わす。あるいは作品となったレストランで、土地の滋味豊かな食材を使ったお料理を、地元の女性たちの説明を聞きながらいただく――。

 こうした都市と地域の人々の交歓が、芸術祭を根底で支え、新しい旅の形、観光とは無縁だった地域に観光をつくりだしていった。そこから新たな雇用が生まれ、地域の経済が活性化していった。

 やがて大地の芸術祭が切り拓いた「アートによる地域づくり」に刺激され、2010年には「海の復権」を掲げ、同じく北川のディレクションのもとに「瀬戸内国際芸術祭」が始まり、芸術祭は全国に広がっていく。「アート旅」の人気は高まり、2019年、第4回の芸術祭を迎えた瀬戸内は「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」の今年行くべき旅先で1位、「ニューヨークタイムズ」では7位に選ばれ、瀬戸内国際芸術祭は107日間の会期で117万人の来場者を迎えた。

ジャウメ・プレンサ「男木島の魂」(C)瀬戸内国際芸術祭 Photo: Osamu Nakamura

新型コロナで次々と延期

 その終了から間もなく、新型コロナウイルスが世界的に蔓延していく。私たちが関わる「房総里山芸術祭-いちはらアート×ミックス」(千葉県市原市)、「北アルプス国際芸術祭」(長野県大町市)、「奥能登国際芸術祭」(石川県珠洲市)の三つの芸術祭も1年延期することとなった。本来の規模でやるためだった。

 今年が昨年よりもさらに酷い状況になると、1年前の私たちに想像できただろうか。今春オープンの予定だった「いちはらアート×ミックス」は、作品はすべて完成しているにもかかわらず、いまだ開催できない状態にある。

 先月末には、この夏の第8回の開催に向けて準備が進められてきた大地の芸術祭の延期が発表され、衝撃が走った。

越後妻有の里山で予見したことがリアルに

田中信太郎「〇△□の塔と赤とんぼ」(C)大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Photo: Osamu Nakamura
 大地の芸術祭は第1回から「人間は自然に内包される」を基本理念として開催されてきた。度重なる災害に見舞われながら、厳しい、しかし豊かな自然と、農業を通して深く関わってきた越後妻有の人々の生活とそこで育まれた里山は、地球環境が危機を迎え、集中化、効率優先の都市の限界が見え始め、近代のパラダイムシフトが喫緊となる中、新しい地域づくりの指針を与えてくれるものだった。

 今回のコロナ禍は、人間が自然を無視し、経済活動を進めてきたことによる生態系の破壊が根底にあると言われている。それは「自然による叛乱」であり、都市の脆弱さを露わにした。そして、多くの人が都市から田舎へと向かい始めている。

 20年以上前に越後妻有の里山で予見したことがリアルになり、そこで考えられた理念がかつてないほど人々の心に実感されているように思う。自然の中で五感を思いっきり開放し、オンラインではない、その土地のためにつくられたアートを巡るひとときを味わいたいと多くの人々が思っている。それだけに、延期は致し方ないとは言え、残念だとの声が寄せられた。

 3度の震災(2004年の中越大震災、2007年の中越沖地震、2011年の東日本大震災と連動した長野県北部地震)の時も、「芸術祭があるから」と地元のお年寄りたちは意気軒高だった。しかし今、一人暮らしのお年寄りは自分で自分を守らねばならない境遇に追い込まれている。

一過性ではない持続的な地域づくりへ

 移動が制限され、共に食事をしたり、協働することが難しいなか、いずれの芸術祭も厳しい状況にさらされている。それでも各地域は、一過性のイベントにとどまらない、芸術祭を契機とした持続的な地域づくりに向かっている。

 変化の予兆は、コロナ禍以前からあった。国連は2017年を「開発のための持続可能な観光の国際年」と定め、開発途上国の貧困撲滅や雇用創出、異文化交流といった観光の可能性がクローズアップされた。その一方で、国境を越えて観光する人の数が、世界で一日300万人以上にのぼり、毎年およそ12億人が海外旅行をする、膨大な人の移動がもたらす観光の負の側面への警鐘も鳴らしていた。

 2019年に開催された「瀬戸内アジアフォーラム」では、アジア諸地域の出席者から、世界に林立するビエンナーレやアートツーリズムといった、大量動員を目指す、環境への負荷の高い、エネルギー消費型のあり方に疑問の声があがっていた。

コロナ禍でのアート活動

 コロナ禍のなか、先の見通せない日々が続く地域の芸術祭だが、今後、どうなるのだろうか。

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