樋口大二(ひぐち・だいじ) 朝日新聞記者
1965年宮城県生まれ。1990年入社。図書編集室、教育ジュニア編集部、金沢総局、文化くらし報道部などに勤務。現在はオピニオン編集部所属。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
法が、世の中の変化に追いついていない
連載「『夫婦別姓』各国事情」では、結婚後の夫婦の姓はどのように決められているか、ヨーロッパを中心に6カ国の事例を紹介してきた。いずれも各国に住むライターが、当事者としての経験をもとに報告したものだ。韓国や台湾など、日本により文化が近いと思われるアジアからの報告を入れられなかったのは残念だが、かわりに番外編として本連載の編集を担当した記者による、日本での経験をご紹介したい。記者は事実婚による別姓歴32年の「ベテラン」である。
まず確認しておきたいが、法律で夫婦の同姓を義務づけている国は世界中、日本が唯一だ。糸数慶子参議院議員による質問主意書に対して、政府は「現在把握している限りにおいては、お尋ねの『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」と回答している(2015年10月6日付)。まさに万邦無比。この連載に対しても、日本だけの制度なら「逆に日本だけがよい可能性もある」というコメントもあった。
しかし、どうだろう。そんなによい制度なら日本以外の国が採り入れないはずがない。追随者が世界中に誰もいないのでは、ひとりよがりである可能性の方が高い。また、それぞれの国は伝統や文化も違うのだから他国を参考にする必要はない、という意見もあるだろう。だが、この連載を通読すれば、それぞれの国で「女性の権利を尊重する」伝統や文化がもともとあったわけではないことがわかる。どの国も、人々の努力によって、時間をかけて法や制度を変えてきたのである。
いま、つい「制度が変わってきたのである」と書きかけてしまったが、制度はひとりでに変わるものではない。もちろん法も制度も自然現象ではなく人が作ったものであるから、人が変えるのである。よいか悪いかの話をしている時に「日本ではもともと」と言う人には、どうもその意識が希薄なのではないか。
歴史的にいえば、日本における夫婦同姓が法的に定められたのは1898(明治31)年施行の旧民法からで、それ以前、1876(明治9)年の太政官指令では妻は「所生ノ氏」(実家の氏)を用いることとされていた。つまり「日本ではもともと夫婦同姓」というのは端的に事実に反する。とはいえ、100年以上続けば、それも「伝統」だ、という考え方もある。問題は、その伝統は本当に守るべき価値があるのか、あるいは「誰にとって」価値があるのかという点だろう。