法が、世の中の変化に追いついていない
2021年05月22日
連載「『夫婦別姓』各国事情」では、結婚後の夫婦の姓はどのように決められているか、ヨーロッパを中心に6カ国の事例を紹介してきた。いずれも各国に住むライターが、当事者としての経験をもとに報告したものだ。韓国や台湾など、日本により文化が近いと思われるアジアからの報告を入れられなかったのは残念だが、かわりに番外編として本連載の編集を担当した記者による、日本での経験をご紹介したい。記者は事実婚による別姓歴32年の「ベテラン」である。
まず確認しておきたいが、法律で夫婦の同姓を義務づけている国は世界中、日本が唯一だ。糸数慶子参議院議員による質問主意書に対して、政府は「現在把握している限りにおいては、お尋ねの『法律で夫婦の姓を同姓とするように義務付けている国』は、我が国のほかには承知していない」と回答している(2015年10月6日付)。まさに万邦無比。この連載に対しても、日本だけの制度なら「逆に日本だけがよい可能性もある」というコメントもあった。
しかし、どうだろう。そんなによい制度なら日本以外の国が採り入れないはずがない。追随者が世界中に誰もいないのでは、ひとりよがりである可能性の方が高い。また、それぞれの国は伝統や文化も違うのだから他国を参考にする必要はない、という意見もあるだろう。だが、この連載を通読すれば、それぞれの国で「女性の権利を尊重する」伝統や文化がもともとあったわけではないことがわかる。どの国も、人々の努力によって、時間をかけて法や制度を変えてきたのである。
いま、つい「制度が変わってきたのである」と書きかけてしまったが、制度はひとりでに変わるものではない。もちろん法も制度も自然現象ではなく人が作ったものであるから、人が変えるのである。よいか悪いかの話をしている時に「日本ではもともと」と言う人には、どうもその意識が希薄なのではないか。
歴史的にいえば、日本における夫婦同姓が法的に定められたのは1898(明治31)年施行の旧民法からで、それ以前、1876(明治9)年の太政官指令では妻は「所生ノ氏」(実家の氏)を用いることとされていた。つまり「日本ではもともと夫婦同姓」というのは端的に事実に反する。とはいえ、100年以上続けば、それも「伝統」だ、という考え方もある。問題は、その伝統は本当に守るべき価値があるのか、あるいは「誰にとって」価値があるのかという点だろう。
私は別姓のまま事実婚歴32年になる。妻も私も別姓を望んだが、まず妻が妻側の姓に特別のこだわりがあったわけではない。詳しい事情は書けないが、少々複雑な環境があって、妻は妻の母とも姉とも別々の姓を名乗っていて(父とはすでに死別)、自身の姓にそれほど愛着はなかったという。その姓に仕事上のアイデンティティがあったわけでもない。それでも妻の姓は彼女にとって、生まれついての自分の名前だ。法律婚をして妻を夫姓にするのは「妻を夫側の家に統合する」イメージがあって感覚的に厭だった。
こちらが妻姓を名乗る選択肢もあったが、改姓はやはりめんどくさい。とりあえず「事実婚・別姓」でやってみて、よほど不都合があったらそれから法律婚をしてもよい。それにいずれそのうち別姓婚も法制化されるだろうし・・・。その程度のスタンスで始めてみたが、結果的に30年以上、婚姻届を出さなければならないような必要性は生まれなかった。一方、30年以上も夫婦別姓が実現しないというのは予想を超えていた。
改姓が「めんどくさい」から、というのはなんだかケシカラン理由のようにも見えるが、結婚改姓にかかわる諸々のめんどうくささは、多くの場合、女性が一方的に負担している。そんなことは大したことではないと思っている男性は、率先して自ら改姓すればよいのである。夫婦別姓についてしばしばきかれる「誤解」は、「旧姓での業績がある研究者とか、特別な事情のある女の人の話でしょう」というものだが、大方の男性は特別な事情などなくても改姓しないまま結婚している。「特別な事情」のない女性も同じようにふるまえないのは、不合理ではないか。
さて事実婚というと、夫婦二人だけの問題にとどまらない。子どもが誕生した場合、どうする
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