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【48】東海地震の震源域見直しから20年、南海トラフ地震対策の進展

福和伸夫 名古屋大学減災連携研究センター教授

 東海地震の震源域の見直しから20年が経つ。その間に東日本大震災が発生し、南海トラフ沿いの地震対策は大きく変貌した。この20年間の対策の歩みをまとめてみる。

中央省庁再編と共に始まった東海地震対策

 21世紀の幕開けとともに中央省庁の再編が行われ、2001年1月6日に内閣府が新設された。これに伴い、中央防災会議は、国土庁から内閣府に移管された。そして、1月26日に開催された第1回中央防災会議で、森喜朗総理大臣から「東海地震については、大規模地震対策特別措置法(大震法)の成立以来四半世紀が経過しており、その間の観測体制の高密度化・高精度化や観測データの蓄積、新たな学術的知見等を踏まえて地震対策の充実強化について検討すること」との指示があった。

 東海地震対策は、1976年に石橋克彦博士による駿河湾地震説(後の東海地震説)が提唱され、直前予知を前提とする大震法が1978年に制定されたことに遡る。東海地震説発表以来四半世紀が経過した時点での再検討の指示だった。

 総理の指示に基づいて、中央防災会議に東海地震に関する専門調査会が設置され、第1回会合が2001年3月14日に開催された。その後、想定すべき震源域についての議論が精力的に行われ、6月16日開催された第6回会合で新たな震源域が公表された。従前に比べ、震源域が西側に広がり、この震源域に対して、地震動や津波の予測が行われ、揺れの強い地域が西側に拡大した。そして、12月11日に報告が取りまとめられた。

大規模地震対策強化地域の拡大

第4回中央防災会議であいさつする小泉首相と(右から)村井国家公安委員長、扇国土交通相、武部農水相ら=2002年4月23日、首相官邸

 東海地震に関する専門調査会の報告に基づいて、12月18日に開催された第3回中央防災会議で、地震防災対策強化地域の指定のため、東海地震対策専門調査会が設置された。2002年3月4日に第1回会合を開催し、さらに4月9日の第2回会合で8県263市町村に強化地域を拡大する案が示された。この案は、4月23日に開催された第4回中央防災会議に報告された。強化地域に政令市の名古屋市が含まれたため、帰宅困難対策など、従来と異なる対応が必要になり、後に注意情報が新設された。

 専門調査会では引き続き、地震被害予測と地震対策が検討され、2003年5月29日の第7回中央防災会議で結果が報告された。予測被害は、最悪、建物全壊約26万棟と死者約9,100人だった。その後、東海地震対策大綱が策定され、被害軽減のための耐震化対策、地域における災害対応力強化、警戒宣言発令前からの的確な対応、災害発生時の広域的防災体制確立などの推進が謳われた。

東南海・南海地震の検討

 東海地震に関する専門調査会の中で、想定東海地震の西側の領域で発生する東南海・南海地震に関する検討の必要性が指摘され、2001年6月28日の第2回中央防災会議で、東南海、南海地震等に関する専門調査会の設置が決定された。9月27日に、地震調査推進本部から東南海地震と南海地震の長期評価結果が示され、今後30年間の地震発生確率が50%と40%と発表されたことを受け、10月3日に第1回会合が開催された。

 その後、検討が重ねられ、2002年7月に東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法が制定された。さらに、12月24日に開催された第7回会合で主要な被害予測結果が報告された。予想被害は、最悪、約356,100棟の建物全壊と約17,800人の死者である。これを受け、652市町村が東南海・南海地震防災対策推進地域に指定された。

 その後、2003年12月16日に開催された第16回会合で報告(案)が示され、同日に開催された第9回中央防災会議で、東南海・南海地震対策大綱が策定された。ここでは耐震化の問題に加え、津波災害や時間差発生による災害拡大防止などの対策の重要性が謳われた。

10年後に見直す予定だった地震対策大綱

 2003年には東海地震と東南海・南海地震の大綱が作られ

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