安東量子(あんどう・りょうこ) 作家・NPO法人福島ダイアログ理事⻑
1976年広島県生まれ。福島県いわき市在住。自営業(植木屋)震災後、ボランティア団体「 福島のエートス 」を主宰。著書に『海を撃つ ――福島・広島・ベラルーシにて』(みすず書房)、共著書に『福島はあなた自身――災害と復興を見つめて』(福島民報社)。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
もっとも重要なのは、信頼関係をいかに構築していくかだ
神経を逆撫でする、という表現がある。あるいは、無神経ともいう。2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故のあと、「リスク・コミュニケーション」という言葉がよく聞かれるようになった。新型コロナウイルス感染拡大に際しても広くメディアで話題に上ったので、目にしたことがある方も多いかもしれない。
東京電力福島第一原子力発電所事故後の、放射能や原発事故に関連する政府によるリスク・コミュニケーションは、失敗続きだった。政府の伝えたいことをうまく伝えることができなかっただけならまだしも、わざとコミュニケーションを悪化させ、政府は信頼できないと国民に思わせようとしているのではないか、狙って神経を逆撫でしようとしているのではないかと思われるような手法までも、「リスク・コミュニケーション」の名目で行われ続けているのが実情だ。
この「リスク・コミュニケーション」は、リスクに関する情報を共有するさまざまなコミュニケーションのあり方を包含する概念だ。そのため、話者が前提するところによって、その内容が大きく異なっていることが常態になっていて、用語そのものが混乱を引き起こしてしまう状況も発生している。
そのことが露呈したのが、4月に起きたトリチウムゆるキャラ炎上事件だ。今年の4月13日、日本政府は、東京電力福島第一原発構内のタンクに貯留されている「水」の処分方法を海洋放出することを決定した。その翌日、東京新聞が次のような記事を報じた。
「トリチウム」がゆるキャラに? 復興庁「親しみやすいように」原発汚染処理水の安全PR(4月13日付東京新聞TOKYO Web)
処理水の海洋放出決定が報じられた直後で、世論の注目が集まっていたこともあり、この広報パンフレットは、たちまち「炎上」した。その批判の多くは、パンフレットに用いられているトリチウムをキャラクター化したことに向けられていたため、最終的にトリチウムのキャラクター化された図案を修正し、内容はまったく変更しないまま、一応の収束となった。
この炎上についての議論では、強い批判の一方で、内容のわかりやすさを評価する意見もあった。そのせいだろう、批判が上がった当初は、平沢勝栄復興相も「わかりやすい」という声もあると、謝罪には否定的な反応を示していた。(4月16日付朝日新聞デジタル、のち謝罪=4月20日付朝日新聞デジタル)
しかし、問題の本質は、実はゆるキャラにあるのではない。そこを明らかにしておかなければ、この先、海洋放出するに当たって政府がさらに力を入れるとしているリスク・コミュニケーションで、同じ失敗をより悲惨な形で繰り返すことは必至と強く懸念している。事故後の政府対応の無見識さをまざまざと経験している者としては、恐怖を覚えるほどに案じているところだ。本稿では、問題がどこにあったのか、どう修正していくのが望ましいのかについて書いてみることにしたい。
まず、このパンフレットについて評価が二分した原因から考えたい。双方の主張を検討してみよう。
パンフレットを評価する意見は、処理水を海洋放出するにあたってもっとも懸念されているのは風評被害だから、風評被害を出さないためには、トリチウムの性状を広く国民に周知する必要がある。そのための広報としては非常にわかりやすく、よくできたパンフレットではないか、と内容に着目して評価した意見が多かったように見える。復興庁の担当者のコメントとしても「放射線というテーマは専門性が高く、できるだけ関心を持ってもらおうとイラストを用いた」(4月21日付朝日新聞デジタル)とあることから、ほぼ、発信者側の発信意図に沿ってパンフレットの内容を受け取っているといえるだろう。
批判する側は、「ゆるキャラでごまかすな」(4月15日読売新聞オンライン)、「問題を矮小化している」(4月21日付朝日新聞デジタル)などのコメントから、パンフレットの内容そのものよりも、政府の姿勢に対して反発を覚えているように見える。つまり、処理水の海洋放出という事態に対して、パンフレットのノリがあまりに軽すぎる、あるいは、政府の態度は適切ではないと受け止められたのだ。
両者の差はどこから出たのか。そこには、情報発信者(政府・復興庁)に対する立場の違い、信頼度の違いが大きく関与しているように見える。
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