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プロに転向して五輪4大会連続を果たした内村航平

その挑戦の価値と可能性

増島みどり スポーツライター

 6月6日まで行われた東京オリンピックの選考会を兼ねた全日本種目別選手権(高崎アリーナ)で、最後の種目、最後の演技者となった内村航平(32=ジョイカル)が着地を決め、15.100の得点が示されると、場内は歓声より、「これでどちらが代表になるの?」というような、ざわめきに包まれた。

「着地の瞬間、もう終わったな・・・」

拡大体操・全日本種目別選手権で個人枠での東京五輪代表に内定した内村航平(右)。手前は代表を逃した米倉英信=2021年6月6日、群馬・高崎アリーナ
 種目別に出場できる「個人枠」は(この時点で)わずか1つ。体操協会が選考のため独自に定めた選考ポイントによれば、同じく個人枠を跳馬で狙った米倉英信(徳洲会)と、選考対象となった5つの演技での獲得ポイントは170と同点に。ここからさらに「タイブレーク制」で、最後は内村が僅差の代表に決まった。場内で名前が発表され、初めて結果を知ったファンの大歓声に、4度目の出場を叶えたレジェンドは苦笑いと共にマイクに向かい、「もうね・・・ダメです」と、自身にダメ出しした。

 前日の予選では15.766と世界最高得点をたたき出したが、疲労や、ここまで4月から4回の演技を重ねてきた緊張感の維持も困難だったはずだ。H難度の「ブレトシュナイダー」、G難度の「カッシーナ」など離れ技を決めたものの途中、ひねり技で乱れてしまう。ミスを何とかカバーして着地したが、内村は「これでもう(五輪出場も)終わったなと思っていた」と、演技中も頭の中で減点を計算しながら五輪出場は消えた、と自分に失望したという。熾烈な争いを堂々続けてきたライバル、米倉にすぐに謝罪したのは、満足な演技ができず、ミスをしながら代表になった「ふがいない」思いからだ。

 日本の五輪史を輝かせてきた男子体操でも、4大会連続出場は、「鬼に金棒、小野に鉄棒」と称賛され、1956年メルボルン大会から64年東京まで金メダル5つを獲得した小野喬さん(89、妻で東京大会代表の清子さんが今年逝去)1人しかいない。

 日体大生だった19歳、初めて大舞台に臨んでから13年かけた偉業だ。オンラインでの会見に臨んだ際、その長さを質問すると、「本当によく続けていますよね」と、ようやく笑顔を見せた。

 「本当に体操が好きなんだと思う。どんなに打ちのめされても、ここまできている。体操が心底好きで、そこを追求して、その繰り返しでした。でも4大会行くとは・・・自分でも考えられない、冷静に凄いなぁと」

 ダメ出しから、ようやくほんの少しだけ、自分をほめるのに、1時間以上を要した。

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筆者

増島みどり

増島みどり(ますじま・みどり) スポーツライター

1961年生まれ。学習院大卒。84年、日刊スポーツ新聞に入社、アマチュアスポーツ、プロ野球・巨人、サッカーなどを担当し、97年からフリー。88年のソウルを皮切りに夏季、冬季の五輪やサッカーW杯、各競技の世界選手権を現地で取材。98年W杯フランス大会に出場した代表選手のインタビューをまとめた『6月の軌跡』(ミズノスポーツライター賞)、中田英寿のドキュメント『In his Times』、近著の『ゆだねて束ねる――ザッケローニの仕事』など著書多数。

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