日本の難民認定はなぜ厳しいのか?入管法改正案見送りでも残る根源的な課題
背景にある、不当に厳しい認定基準、過度の立証責任、手続き上の課題の実態
石川えり 認定NPO法人難民支援協会代表理事
難民認定を阻む三つの理由
ミャンマー出身者の状況に象徴される日本の難民認定の問題は、なぜ起きているのか。その背景として、難民認定審査における問題点を指摘したい。
難民認定を阻んでいる理由としては、以下の3点を挙げられる。すなわち、①厳しい難民の定義と審査、②過度の立証責任、③手続き上の課題、である。
厳しい難民の定義と審査
①の難民の定義と審査は、国連難民高等弁務官事務所(以下、UNHCR)の基準では、「生命または自由に対する脅威、人権の重大な侵害、特定の差別の累積」となっている。これに対し、日本の基準は「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するもの」(東京地裁判決)と示されており、下線部分を含まない狭い定義がされている。
さらに、難民は「(当局に)個別に把握されている」必要があるとされ、範囲をさらに狭めている。例えば、難民として不認定となったあるシリア出身者の場合、罪のない子どもが殺される光景を目の当たりにして、アサド政権に対抗するデモに参加したが、国は「デモの最中に攻撃されるといった危険性があることは否定できないにしても、それはそのようなデモに参加した人一般の問題であって、異議申立人に固有の危険性ではない」という理由で不認定とした。
つまり、難民とは、個別に危険にさらされる人であり、デモに参加するシリア人は皆危険にさらされるため、難民ではないという判断であった。デモに参加すること自体が危険であり、難民として認定されるべきだとされる各国とは、根本的に異なる。この基準によると、現在のミャンマーでデモに参加していても、主催者等として政府によって個別に把握されている人たち以外は、難民申請を出してもほぼ不認定にされてしまう。
過度の立証責任
くわえて、日本の難民審査においては、難民申請者の供述の信ぴょう性も、厳しく判断される。日本では審査手続の申請時から審査請求、訴訟に至るまでに長い期間を要するが、その間に難民本人の主張の詳細が多少ぶれる、主張の裏付けとなる客観的な証拠が少ない、その国の出来事が日本では合理的な内容と理解されにく、そういったことがしばしば発生するが、それが信用できない要素として捉えられる。
例えば、裁判を経て難民として認定されたあるミャンマー難民は、入管での審査段階では、政治活動を理由に学校を退学になり、警察署において取り調べを受けたと主張したが、客観的な証拠がないこと、学校を退学となって取り調べを受けた時期が、合理的な理由もなく変遷していることから、信用できないとされた。
別のミャンマー難民は、未成年で政治犯の刑務所に拘禁されたと一貫して述べていたが、裁判所では、未成年が拘禁されるのは「著しく不合理」とみなされ、難民不認定とされた。また、昨年、東京高裁であったミャンマー少数民族の女性の判決においては、女性が加入する反政府デモなどを行う団体について、「ミャンマー政府から権利侵害を受けた者がいる証拠はない」などと指摘。「客観的な事情は認められない」として、難民不認定とされている。
このように、日本の難民審査は、難民であることを証明する責任が本人に過度に課されているが、UNHCRが発行する難民認定の手引書である「難民認定基準ハンドブック」によると、「立証責任は原則として申請者の側にあるけれども、関連するすべての事実を確認し評価する義務は申請者と審査官の間で分担される」とされている。日本の基準は国連が示す国際基準と合致していないのである。
透明性・公正さに欠ける認定の手続き
難民認定の手続きも透明性がなく、公正さが欠けている。
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