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【4】史料の誤読やいい加減な扱いの多さ

「一朝鮮人」が書いた文書を日本政府の公文書として紹介

加藤直樹 ノンフィクション作家

 ラムザイヤーが、日本政府が朝鮮人の重大犯罪の実在を認定したものだと誤読した文書は、1923年9月5日に取り決められた「朝鮮問題に関する協定」の「朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、肯定に努むること」「風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに努むること」という要請に沿って宣伝方針を述べたものであり、また、それに基づいてまとめられた信憑性の薄い「朝鮮人の犯罪」リストであった。このリストが、そのまま事実として取り扱うことはできないものであることについては、すでに本連載の第3回で確認したとおりである。

その5 警察は震災で混乱していたので朝鮮人の犯罪を見逃したのだろうという「思いつき」

 だがラムザイヤーは、当時の日本政府が苦心してつくったこのリストでも納得がいかず、「朝鮮人の犯罪はもっとあったはずだ」と主張する。

 「終末さながらの噂に比べれば、これら(司法省報告の「朝鮮人の犯罪」リスト)は非常に少ない数字だ。しかし、警察が極端に人員不足だったことに注目したい。施設を火災で失い、人員を失い、過去の犯罪に関する検証不可能な口頭での訴えを捜査する以外にも多くのやるべきことがあった」「放火の疑いがあったとしても、誰が放火したのかを突き止める方法はなかった」「このような混乱の最中では必然的に多くの犯罪が気付かれずに終わる」

 警察は他のことで忙しく、朝鮮人の犯罪の捜査まで手が回らなかったのだ。だから警察が把握できなかった朝鮮人の犯罪はもっと多かったはずだ――という「推測」である。

 そもそもこの推論は前提が奇妙である。警察が本来業務と別のことに忙殺されて気づかなかった多くの犯罪があった可能性があるとしても、なぜそれが、そのまま「朝鮮人が」行った犯罪がたくさんあったかもという話になるのだろうか。第2回で述べたように、当時の東京府の朝鮮人人口は日本人の500分の1にすぎない。警察が気づかなかった朝鮮人の犯罪が1件あったかもしれないというのであれば、警察が気づかなかった日本人の犯罪は500件あったかもしれないということになるはずだ。

 ところが実際には、震災直後の警察は、「朝鮮人の犯罪」の捜査に手が回らないどころではなかった。その解明に相当な力を注いでいたのである。

拡大戦後、公安調査庁長官を務めた吉河光貞=1964年5月16日
 すでに見たように、東京地方裁判所検事の吉河光貞は、行政・司法が所蔵する資料を精査してまとめた『関東大震災の治安回顧』のなかで、「果たして以上述べたが如き鮮人犯罪が実際に行われたものであろうか」「震災直後司法警察官の捜査が一時この種鮮人犯罪の検挙に傾注された観あるにかかわらず」「重大犯罪すら、その大部分が犯罪の嫌疑なきものとして不起訴処分に付されるがごとき状態であった」と指摘している。震災直後、警察の捜査は朝鮮人犯罪の検挙に集中したというのである。にもかかわらず重大犯罪の起訴もほとんどできなかった。「その大部分が犯罪の嫌疑なきもの」だったからである。

 吉河は同書の別の箇所でもこう書いている。

 「(9月2日に)各警察署からは不逞鮮人の放火、井戸投毒其の他各種犯罪発生の報告が殺到するに至つたので、多数の(警視庁刑事部捜査課の)課員は赤坂、四谷、麹町、芝、牛込、小石川等諸方面に出動して之が内偵捜査に当つたが、(警視庁)残留課員は自警団員等が同行して来た鮮人百六十八名の収容に従事し、翌三日早朝から同課員総動員にて其の取調を開始して不逞鮮人に関する各種流言の虚実究明に努めたが、殆んど犯跡の認むべきものなく、却て流言の無根なるを闡明(せんめい、明らかにすること)する結果となった」

拡大警視庁「大正大震火災誌」(1925年)より。爆弾を携帯したとして同行を求めた朝鮮人を調べてみたら、缶詰や食料品にすぎず、「ソノ他ノ鮮人モ亦疑フベキモノナシ」とある
 震災直後、警視庁刑事部捜査課は「総動員」で朝鮮人を取り調べたが、ほとんど犯行は認められず、かえって流言が事実無根であることが明らかになったというのだ。

 同様の記述は、警視庁『大正大震火災誌』の各警察署の報告にも無数に出てくる。「こいつが爆弾を持っている」「こいつは井戸に毒を入れた」などとして住民が連行してきた朝鮮人を調べたが、いずれも住民の思い込みや勘違いだったというのである。

 9月3日以降は、朝鮮人を「保護」するとして朝鮮人の総検束が始まるが、この過程でも、「容疑の点ある鮮人は悉く之を警察又は憲兵に引渡し適当処分」せよという方針が臨時震災救護事務局警備部で取り決められている(『現代史資料6』p77)。つまり、各地で保護された朝鮮人数千人のうち、何らかの「容疑の点」を持たれた者は皆、取り調べを受けたということだ。
 
 つまり、警察は「朝鮮人の犯罪」を探し出す努力を徹底的に行ったのである。にもかかわらず、それを見つけることはほとんどできなかった。

 東京以上の混乱状態にあった横浜市内に進駐した神奈川警備隊司令官・奥平俊蔵は、

 「横浜に於ても朝鮮人が強盗強姦を為し井戸に毒を投込み、放火其他各種の悪事を為せしを耳にせるを以て、其筋の命もあり、旁々之を徹底的に調査せしに悉く事実無根に帰着せり」「騒擾の原因は不逞日本人にある」

 と記している。

 さらに、前回紹介したように、9月5日の「朝鮮問題に関する協定」に従い、治安当局は「風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定すること」という方針の下、説得力のある「風説」を集め始めた。

 こうして、大量の朝鮮人を取り調べ、重大犯罪が実際にあった可能性を徹底的に調査し、「風説」までかき集めた結果が、信憑性の薄い「鮮人の犯罪」リストであり、強盗、放火、強姦、殺人といった重大犯罪が全く含まれていない12件の起訴なのである。

 警察が人手不足だったために、この程度しか朝鮮人犯罪を見つけられなかったのだ、実際にはもっとたくさんの犯罪があったに違いない――というラムザイヤーの「推測」は、こうした歴史的事実から全く乖離した、単なる「思いつき」「思い込み」にすぎない。

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筆者

加藤直樹

加藤直樹(かとう・なおき) ノンフィクション作家

1967年、東京生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。著書に『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、『NOヘイト!――出版の製造者責任を考える』、『さらば、ヘイト本!――嫌韓反中本ブームの裏側』(ともに共著、ころから)、『戦争思想2015』(共著、河出書房新社)、最新刊に『謀叛の児――宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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