加藤直樹(かとう・なおき) ノンフィクション作家
1967年、東京生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。著書に『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、『NOヘイト!――出版の製造者責任を考える』、『さらば、ヘイト本!――嫌韓反中本ブームの裏側』(ともに共著、ころから)、『戦争思想2015』(共著、河出書房新社)、最新刊に『謀叛の児――宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
犠牲者に対しても、研究の蓄積に対しても敬意を欠くラムザイヤー
ここまでは、ラムザイヤーが「(b) 自警団は実際に何人の朝鮮人を殺したのか」を探るために様々な数字を史料の中から取り出す際に、史料の誤読や出典のいい加減な扱いを行っていることを指摘してきた。
だがここまでに挙げてきた誤読や出典のいい加減さは、ラムザイヤーが虐殺犠牲者数の推計を最終的に確定する結論には影響を与えてはいない。
これに対して、ここから指摘する問題点は、彼の結論に直結しているのだから深刻である。
ラムザイヤーは、様々な数字を検証しつつ、最終的に震災直前の「関東地方の朝鮮人人口」から「震災後の朝鮮への帰還者数」「地震・火災による朝鮮人死亡者数推計」「震災時に帰省していた学生数」の三つの数字を引くことで、残りを虐殺された可能性がある人とするという計算を選んでいる。
このうち、「関東地方の朝鮮人人口」について、ラムザイヤーは先述したように山田昭次論文に示された田村推計の1万4100人を採用する。ここまではいい。
「震災後の朝鮮への帰還者数」については説明が必要だろう。震災後に多くの朝鮮人が危険を感じて朝鮮に帰ったり、あるいは収容されていた朝鮮人を日本政府が「保護送還」している。ラムザイヤーはこのうち、関東地方からの帰還者数を朝鮮総督府の文書(「高警第六十三号」『現代史資料6』p279)から7200人と算出している。これも正確には約7300人なのだが、ほぼ間違っていない。
最大の問題は、「地震・火災による朝鮮人死亡者数推計」である。彼はいくつかの数字を掛け合わせて「790人」という朝鮮人死亡者数を割り出すのだが、この「いくつかの数字」がめちゃくちゃなのである。
ラムザイヤーは、朝鮮人死亡者数の算出方法について、次のように書いている。
「当局によると、朝鮮人労働者(学生ではない)のうち約4000人が本所区と深川区に住んでいたという(★1)。本所区は隅田川の東側の商業地域(現在は墨田区の一部)で、一帯の他の地域よりも死亡率がはるかに高く、人口25万6000人(1920年、総務省〈加藤注:国勢調査〉)のうち、4万8000~5万1000人が死亡した(★2)。本所区の朝鮮人人口を4000人として、この割合を当てはめると死者は790人となる」
★1、2は出典名が表記されているところを、煩雑になるので私がこのように代入した。以下の文章でそれぞれの出典名についても説明する。
さて、上記の引用中で、本所区の死亡率が他の地域よりも「はるかに」高かったとあるが、これは事実である。本所区には、火炎旋風によって、たった20分間で3万8000人が命を落とした陸軍被服廠跡があったためだ。被服廠跡を含めた本所区全体の死者数は約5万4000人に上り、これは関東大震災全体の死者数のほぼ半分に当たる。
だが、本所区の死亡率が高かったのが事実だからといって、ラムザイヤーの推測も妥当であるということにはならない。このごく短い文章のなかにも、おかしな点が三つもあるのだ。
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