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【5】推計から推計を足し引きする無理な計算法

犠牲者に対しても、研究の蓄積に対しても敬意を欠くラムザイヤー

加藤直樹 ノンフィクション作家

「本所と深川に朝鮮人が4000人」の根拠は

 第一の問題は、「当局によると、朝鮮人労働者のうち約4000人が本所区と深川区に住んでいた」という前提である。この「4000人」こそが、ラムザイヤーの計算の全ての前提となるのだから、その信憑性は重要である。

 4000人という数字の根拠は何か。ラムザイヤーが★1で示している出典は、『現代史資料6』p256に収録されている「在京鮮人の動静に関する件」と題する文書で、「朝鮮総督府属兼警視庁警部赤沢氏の談話」である。編者の説明がないので文書の位置付けは不明だが、内容から見て、9月上旬のいずれかの日に、何らかの会議において口頭で報告されたもの(談話)のメモだろう。ラムザイヤーは、その中に、「(朝鮮人)労働者約四千主として本所深川辺に居住せり」という一文があることに注目したのである。

 当時、関東地方のどこに、あるいは東京府内のどこに、何人ほどの朝鮮人がいたのか。正確なことは分かっていない。ラムザイヤーも引用する朝鮮総督府の報告には「震災前東京に在住した鮮人の数は移動甚だしき為正確には知り難い」とある。来日数年以内で、建設現場などで働く若い単身の労働者が多く、地域に根を下ろして定住するに至っていなかったからだ。

 そういう中で、一警部が震災直後の混乱のさなか、口頭で語った数字を確定的な数字としてそのまま計算に使うのは、学問的な議論とは呼べないだろう。国勢調査などから算出された田村推計では、1923年の東京府の朝鮮人人口を約8500人と推測している。4000人をこの推計に当てはめると、本所区と深川区に東京府の朝鮮人の半数が集中していたことになるわけで、ずいぶん大胆な数字ということになる。

 東京府の各地域の朝鮮人人口を示したものとして各年の東京府統計書がある。これもまた一つの参考として扱うしかないものだが、それを見ても、1923年の本所区、深川区に朝鮮人がそこまで集中していたという傾向は読み取れない。

 ところが、ラムザイヤーは

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筆者

加藤直樹

加藤直樹(かとう・なおき) ノンフィクション作家

1967年、東京生まれ。出版社勤務を経てフリーランスに。著書に『九月、東京の路上で――1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、『NOヘイト!――出版の製造者責任を考える』、『さらば、ヘイト本!――嫌韓反中本ブームの裏側』(ともに共著、ころから)、『戦争思想2015』(共著、河出書房新社)、最新刊に『謀叛の児――宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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