メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

リコール署名偽造をスクープした2紙の連携 西日本・中日の前例なき調査報道

読者の情報に応える双方向型報道、「VS権力」でも成果/全国ネットに29社参画

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

「地方紙の雄」2紙の大展開、社の壁を越えた成果

 愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)運動をめぐる署名偽造事件で、リコール団体事務局長の元県議ら4人が愛知県警に逮捕された。提出署名のおよそ8割に当たる約36万人分が法的に有効ではなかったという。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」に端を発したこの“大”刑事事件の報道には、新聞社の壁を乗り越えた調査報道が大いに関係している。その連携のプロセス成果はもっと注目を浴び、もっと記憶されていい。

愛知県庁前で大村秀章知事のリコールを訴える河村たかし・名古屋市長(左)と高須克弥氏=2020年8月25日、名古屋市中区
愛知県知事へのリコール署名偽造事件で、地方自治法違反(署名偽造)容疑で愛知県警に逮捕された運動団体事務局長の田中孝博容疑者。滞在先から捜査車両に乗り込んだ=2021年5月19日、静岡県伊豆市

 「あいちトリエンナーレ」から容疑者逮捕に至る経過は、ここでは再録しない。美術展に対する当時の批判や愛知県知事に対する反発そのものに相当程度の作為が含まれていた可能性もあり、そこは捜査やその後の公判による真相解明を待つしかない。

 提出署名が偽造されていたという報道そのものは、中日新聞(本社・愛知県)と西日本新聞(本社・福岡県)の記事が皮切りになった。いずれも、県域を超えた取材網を持ち、地方紙(ブロック紙)の雄として知られている。

 第1報は、いずれも今年2月16日。両紙とも1面での大展開だった。

2021年2月16日付の西日本新聞1面記事。同紙に寄せられた情報を基に中日新聞が取材したと記している
2021年2月16日付の中日新聞1面記事。西日本新聞との合同取材によるリコール署名偽造のスクープ

 まずは、西日本新聞。1面に3本の記事を載せた。

〈愛知県知事リコール問題 佐賀で大量動員 署名偽造 名古屋の企業が関与〉
〈時給950円「書き写すだけ」 久留米の男性証言 バイト 知らずに加担〉
〈選管が告発状〉

 中日新聞は1面と社会面で大展開した。いずれも1400字前後。新聞記事としては相当な長文であり、見出しだけで署名偽造の異様さが透けて見える。

〈署名偽造 バイト動員か 愛知知事リコール 名古屋の会社が求人 佐賀で昨年10月 書き写し〉
〈名簿の束「書き写して」 署名偽造 バイト男性語る 会議室に数十人 作業中、携帯はポリ袋に〉

2021年2月16日付の中日新聞社会面記事。西日本新聞への情報提供の経緯と、2紙の連携による調査報道であることも記している

画期的な合同取材、経緯も一報で明記

 さらに、両紙がきっちりと「合同取材」だったと明記している点も見逃せない。中日新聞は、取材の端緒情報は西日本新聞に寄せられたものだったと社会面で明らかにしたほか、ニュースサイトでも「本紙と西日本新聞の共同取材で判明」と明示した。西日本新聞は1面記事のリードで中日新聞との合同取材だったと書き、記事の末尾には「中日新聞」というクレジットを付す丁寧さだった。

 第一報とほぼ同時に取材の経緯を明かす例は過去皆無に等しかったため、必ずしも全容を把握できるわけではないが、不正に真正面から切り込んでいく権力監視型調査報道において、系列関係もない地方紙が連携して生ニュースとして報じた例は、ほとんどないはずだ。そうした点でも、今回は画期的である。

中日新聞ウェブサイトの「リコール署名偽造」特集ページでは、「本紙と西日本新聞の共同取材で判明」と記している=中日新聞ウェブサイトから
 では、実際の取材はどう進んだのか。両紙の担当デスクらに対するインタビューなどをベースに経緯を見てみよう。

西日本の調査報道班の窓口に寄せられた市民情報

 愛知県選挙管理委員会は2月1日、リコール署名をチェックした結果として、約43万5千人分のうち、約36万2千人分が不正だったと発表した。実に83.2%が不正というのである。不正署名の9割は複数の同一人物によって作成された疑いもあるとした。

 西日本新聞に情報提供があったのは、その翌日、2月2日だった。

 届いた先は「あなたの特命取材班」、略称「あな特」である。「個人・地域の困り事から行政や企業の不正告発まで、読者の情報提供や調査依頼に応える」として、2018年から同紙が着手。読者の依頼に応じる形で、企画紙面をつくったり、キャンペーン記事を載せたりしている。

西日本新聞の「あなたの特命取材班」のウェブサイトから
 不正署名に関する情報は、西日本新聞ニュースサイトの「あな特」ページからメールフォームを使って寄せられた。提供主は福岡県久留米市に住む当時50歳の男性。アルバイトの募集に応じ、佐賀県内の貸し会議室で署名簿への書き写し作業を担ったのだという。

 その後、男性から電話で詳しく話を聞いたのは、クロスメディア報道部の竹次稔デスク兼記者である。竹次デスクは「あな特」の事務局員でもある。

 久留米市の男性との電話取材を終えたあと、竹次デスクは中日新聞に連絡しようと考えた。リコール対象は愛知県知事、男性から聞かされたアルバイト募集の会社所在地は名古屋市。舞台はすべて中日新聞のお膝元である。

 読者との双方向性を活かし、読者・市民の疑問を取材によって丁寧に解きほぐしていこう、という「あな特」の試みを西日本新聞は「読者伴走型の調査報道」と称している。そして、西日本新聞の呼び掛けに応じ、多くの地方紙で同様の試みが始まり、ネットワーク化も進んだ。その枠組みが「JODパートナーシップ」だ。JODは「ジャーナリズム・オン・デマンド」の略称であり、オンデマンド型の調査報道という意味である。中日新聞はその一員だ。

愛知県選挙管理委員会の調査結果を受け、会見で「民主主義の根幹を揺るがすゆゆしき事態だ」と述べる愛知県の大村秀章知事=2021年2月1日、愛知県庁

2紙で情報共有 ペアでの取材も

 竹次デスクは言う。

 「メールフォームの内容と電話取材の内容は、中日新聞の担当デスクと共有しました。うちの総合デスクや部長の最終的なOKを事前に取ったかどうか……。記憶はあいまいです。事後報告だったかもしれません。でも、JODの枠組みの中で、普段からしょっちゅう、やりとりしてるんです。会社の壁? もうそんなことは意識してないですね」

 中日新聞で取材の窓口だったのは、名古屋本社社会部の酒井和人デジタル担当次長だ。中日新聞もオンデマンド調査報道の仕組みを持ち、「あなたから寄せられた情報をとことん掘り下げる」と宣言している。愛称は「Your Scoop(ユースク)」だ。

中日新聞の「ユースク」取材班のウェブサイトから
 一連の取材経緯を酒井氏はこう振り返る。

 「(久留米市在住の)情報提供者の了解を得たうえで、情報の概要と提供者の連絡先について共有したいと、西日本新聞から提案がありました。弊社内で検討し、提案を受け入れました。第1報を掲載する前に共有したのは、情報提供者の了解を得られた一次情報のみです」

 その後、西日本新聞と中日新聞とのやりとりは、密度を増しながら断続的に続いた。デスク、現場をまとめるキャップ、さらには一線の記者。それぞれの立場で情報交換が続く。関連の取材で得た情報は次第に濃度を増し、現場での情報交換はさらに進んだ。こうして、ごく自然に合同取材チームは形成されたという。

 両紙の関係者によれば、取材で得た材料(素材)を共有し、それぞれの判断で共有素材から記事を仕上げる形も相当にあった。互いの出稿内容を事前に確認し合う場面もあったようだ。さらに、西日本新聞と中日新聞の記者がペアになって取材に出向くこともあった。

全国29媒体がパートナー 「VS権力」型で初の連携

 今年5月末現在、JODパートナーシップには25の地方紙と地方の民放テレビ2局、ラジオ1局、ウェブメディア1媒体が加盟し、文字通り、北は北海道から南は沖縄まで全国にネットワークをつくっている。こうしたなか、不正署名をめぐる西日本新聞と中日新聞の協働は、これまでのJODの活動とは明らかに質を異にしていた。

 JODの活動としてはこれまで、各メディアの取材チームが制作した完成品の記事を交換し、それぞれの地域事情などに基づいて若干の修正を施し、自媒体に転載するパターンが多かった。記事交換の「取引マーケット」としての機能である。

 もちろん、合同で取材するケースも存在した。ただ、それらは日々の暮らしに関する困りごとを扱ったり、共通のアンケートを取ったりといった、どちらかと言えば、ややのんびりしたテーマが主流だった。取材の運びにおいても、事前に入念なリサーチを重ね、紙面上での見せ方まで想定した「企画型」が多かった。JOD今回の偽造署名問題のように、権力の不正に真正面から切り込んでいく「VS.権力」型の取材を合同で進めた例はなかったと思われる。

 実際、西日本新聞で「あな特」の調整を担う立場の福間慎一・クロスメディア報道部デスクも「不正や権力の内部に切り込んでいく合同取材は、JODの枠組みで実現できていなかった。今回は初のケースだと思います」と語っている。

西日本新聞社が提唱するオンデマンド調査報道「あな特」と連携協定を結ぶパートナーメディアの一覧=西日本新聞ウェブサイトから

権力追及報道が衰える時代 社の壁越えた「革命」

 新聞・テレビの影響力が弱まり、取材力も減退している。権力の不正、不作為やそれに類する出来事に真正面から対峙する本格的な調査報道は、目に見えて減ってきた。このままでは、隠された情報がますます増えていくだろう。

 しかし、メディアが企業の壁や媒体の種類の壁を乗り越えて協業できるのであれば、事情は少し違ってくる。とりわけ、各地域では圧倒的なネットワークと取材力を誇る地方メディアが「調査報道取材の輪」に加われば、局面はかなり変わるのではないか。

 実際、先例はある。

 例えば、今年1月、沖縄タイムスと共同通信社の合同取材によって明るみに出た「陸上自衛隊、辺野古新基地に常駐 在日米海兵隊と極秘合意」というスクープもそれだ(論座1月30日付の拙稿ご参照)。地方紙と、地方紙などに配信する国内最大の通信社。この双方が手を結んで「VS.権力」型の調査報道に乗りだしたケースは、少なくともこの半世紀の間にはなかったと思われる。市民にはどうでもよい話だろうが、大げさに言えば報道界の“革命”である。

 西日本新聞と中日新聞の合同取材も、そういった流れと同じ範ちゅうの試みだった。

西日本新聞本社=福岡市中央区
中日新聞本社=名古屋市中区

他社との「保秘」「情報管理」「競合」を超えた信頼醸成

 「権力監視型」「VS.権力」だけが調査報道ではない。暮らしの中で芽生えた小さな疑問に向き合って取材し、その回答を示すことも立派な調査報道だ。しかし、権力の不正・不作為やそれに類するものと真正面から対峙する「VS.権力」タイプの調査報道においては、当然、合同取材のハードルは一気に高くなる。

 まず、取材で得た情報の管理、いわゆる「保秘」が横たわる。権力監視型の調査報道を実行している場合、同じ社内であっても、時には他部署や他グループにも情報を教えない。いくらJODで結ばれた相手とは言え、他社を前にしてどこまで信頼を置くことができるのか。

 素材の共有においては、取材力のレベル差が問題になることもあろう。互いに取材結果を共有すると言っても、それぞれが相手方に「なぜ、このポイントを質問していないのか」「こんな簡単な事実関係を先方は把握できないのか」との思いを抱くことは当然に起こりうる。このポイントを突き詰めれば、自社の記者でない者が取材した内容をどこまで信頼し、実際に記事に盛り込めるのか、という問題に行きつく。掲載記事に間違いがあったり、訴訟対象になったりしたら、どうなるのか。

 地方メディアの場合は「県境での競合」問題も出てくる。

 中日新聞の前出・酒井氏はこう指摘する。

 「(端緒情報などの)共有に関する明文化されたルールはJODにありません。JODのパートナー紙には中日新聞のエリア競合紙もあります。共有の有無も含め、どんな情報をどのように共有するかは各紙が独自に判断するべきだと考えます」

 同一エリアの競合紙でなくとも、ネタが大きくなればなるほど協働は難しいとも

・・・ログインして読む
(残り:約703文字/本文:約5430文字)