宮内庁長官の「拝察」と尾身会長の「普通ではない」発言から浮かぶ権力の「圧力」
2021年06月30日
東京五輪・パラリンピックの開催が目前に迫る。新型コロナウイルスの猛威がおとろえないなか、多くの国民はどのような気持ちで、コロナ禍のもとで「戦場」ともとれる「平和の祭典」を迎えようとしているのだろうか。
菅義偉首相をはじめ、五輪を開催する側から、五輪開催の明確な意義が語られていない。ブレーキが効かなくなり、制御できなくなった巨大な車両のような現状に、「納得できない」「釈然としない」という思いに駆られている人たちは多いのではないか。
このような折、宮内庁の西村泰彦長官が定例記者会見(6月24日)で、天皇陛下が「(東京五輪の)開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察している」と述べ、政界などに一挙に波紋が広がった。
また、宮内庁長官発言に先立ち、政府の感染症対策分科会の尾身茂会長が衆院厚生労働委員会(6月2日)で、東京五輪について「いまの状況では、やるのは普通ではない」と言い切り、海外でも報じられた。同時に「(専門家としての評価を)何らかのかたちで考えを伝えるのがプロフェッショナルの責務だ」とも述べ、政府に対し強硬な姿勢に転じた。
天皇の思いをおもんぱかったかのような宮内庁の西村長官と、感染症の専門家で対策分科会の尾身会長の五輪開催に懐疑的な発言。両者は立場が違うので必ずしも同列に扱うつもりはないが、IOC(国際オリンピック委員会)や政府の明確な説明がないままに五輪開催に突き進む今の状況に対して一般国民がいだく不安に、双方ともにギリギリのところで答えようとしているのではないか。
西村長官は「拝察です。日々陛下とお接しするなかで私が肌感覚として受け止めている」とし、「陛下から直接そういうお言葉を聞いたことはない」と慎重ないい回しをした。だが、ここに天皇のメッセージがあると考えるのは自然であろう。
世論形成に大きな影響を与えるような天皇の考えや思いを伝える際に、「側近の拝察」として直接的ではなく、間をおいて発信することはある。そうでなければ、西村氏がこのような発言をする必要もない。
だが、菅首相や丸川珠代五輪担当相は「長官個人の発言だ」とし、取り合おうとしなかった。
長官発言の翌日6月25日の在京各紙の朝刊をみると、いずれも社会面などで抑えたかたちで事実関係だけを報じた。天皇が五輪開催の懸念を直接表明したのなら、とうぜん1面で大きく伝える話になるが、ここに宮内庁の周到な準備がみて取れる。
この日の朝刊は、朝日新聞だけが二人の識者談話を載せ、長官発言の意味を読み解いた。名古屋大学准教授で歴史学専攻の河西秀哉氏は「長官の発言は、天皇の考えを反映していることは間違いないだろう。……ただ、天皇が発言の主体となると、政治問題に発展しかねない。長官の発言や感想として発表することで、憲法に抵触しないよう配慮した形だ。宮内庁はよくよく考えて発表したと思う」と解説している。
一方、一橋大学名誉教授で政治学を専門とする渡辺治氏は「天皇の命令で戦争を招いた反省から、政治的な決断は国民とその代表である議員が行い、天皇に一切の政治的行為を許さない『象徴』とするのが憲法の『国民主権』だ。……国民主権を侵害するこの発言の危険性を認識すべきだ」と述べている。
いずれの識者も長官発言の危うさを認め、河西氏は配慮したうえできわどい球を投げたと考え、渡辺氏は国民主権を規定した憲法に抵触しかねないとクギを刺している。
その翌日の26日には、読売新聞朝刊が宮内庁長官発言に否定的な2人の識者のコメントを掲載。九州大学名誉教授の横田耕一氏は「五輪に反対する人たちが天皇の意見として都合のいいように利用する状況が生まれかねない」とし、国士舘大学特任教授の百地章氏は「西村氏は(天皇の思いを)公にするのは控えるべきだった」と断じた。
ここで留意したいことは、菅首相をはじめ関係者の説明不足のまま、なし崩し的に五輪開催へ突き進んでいくことに対し、国論が二分し国情が不安定化していくことだ。
かといって、天皇の発言がなければ、国民の気持ちがいい意味で一つになっていくことができないとすれば、これも大きな問題だ。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください