市民の知る権利に応えてこその「報道の自由」――「記者逮捕」を考える〈中〉
責任は記者個人ではなく幹部にある。「取材の公益性」主張には市民の信頼が必須
高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト
北海道新聞社旭川支社報道部の新人記者が、取材中に逮捕された。事件そのものはまだ捜査中だが、この問題は「取材・報道の自由」「逮捕時における容疑者の実名報道」といった問題をはらんでいる。メディア環境が激変し、ジャーナリズムも大いなる変容を迫られている現在、事件は社会と報道界に何を問い掛けているのか。
連載〈上〉はこちら、〈下〉はこちら。
記者に「取材特権」はあるか
国立大学法人・旭川医科大学は、新型コロナウウイルス感染防止のため、部外者の入構を原則禁じていた。それにもかかわらず、建物に許可なく立ち入ったとして、記者は6月22日午後、建造物侵入の疑いで現行犯逮捕された。吉田晃敏学長の解任をめぐる学長選考会議が大学内で開かれており、その取材目的で立ち入ったのだという。

旭川医大の学長選考会議の終了後、報道陣の取材に応じる西川祐司議長。会議は非公開で行われ、開催中の建物内で北海道新聞記者が現行犯逮捕された=2021年6月22日午後6時11分
日本では過去、毎年のように新聞社やテレビ局の記者が逮捕されている。ただし、ほとんどは業務と直接関係のない出来事によるものであり、取材活動そのものが逮捕につながったケースは近年、ほとんどない。
旭川の記者が逮捕された事件がネットで報道されると、SNSを中心に多くの賛否が噴き上がった。それらをざっと眺めた筆者の印象で言えば、「明確な犯罪だから逮捕は当然」「記者だから逮捕すべきではないという“特権”はおかしい」「いつも違法取材をやっているのか」という内容が目立った。
SNSでのマスコミ批判は珍しくないが、今回は、記者が大学内で誰何(すいか)された際、身分を明かさず、逃げようとしたとされる点も見逃せない。なぜなら、上からの指示があったとはいえ、「身分が不明」「逃走の恐れあり」で逮捕の要件を満たしていたと思われるからだ。
他方、メディア関係者からは、記者を擁護する声がすぐに出てきた。例えば、朝日新聞記者で、新聞労連の前委員長だった南彰氏。逮捕翌日6月23日正午前のツイートで南氏は次のように記し、「#道新記者の逮捕に抗議します」というハッシュタグを作った。
記者は「コントロールされない」ということが大切な仕事です。今回の逮捕が公然とまかりとおるようになれば、権限をもった者による情報捜査がより容易な社会になってしまいます。私はこの逮捕はおかしいと思います。
このツイートの最初の一文は、ジャーナリズムの原則について言及したものだ。
記者は、誰かにとっての「宣伝道具」であってはならない。権力者や権力機構に対しても、常に厳しく対応すべきだ。そうした営みがなくなれば、社会には権力者の「発表」に基づく「発表報道」があふれ、彼らにとって好都合の良い言動を報じるニュースが溢れてしまう。だからこそ、ジャーナリストはあらゆる勢力から独立し、権力監視の活動を怠ってはならない――という原則である。
後半はともかく、最初の一文は間違っていない。