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市民の知る権利に応えてこその「報道の自由」――「記者逮捕」を考える〈中〉

責任は記者個人ではなく幹部にある。「取材の公益性」主張には市民の信頼が必須

高田昌幸 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

報道の自由は社会に不可欠 メディアは勘違いせず不断の努力を

 では、取材の自由とは何か。メディアと法の著名な研究者である山田健太・専修大学文学部ジャーナリズム学科教授は取材・報道の自由について、最新刊『法とジャーナリズム 第4版』(勁草書房)で次のように述べている。

〈マスメディア、そのうち特に言論・報道機関(ザ・プレス)は、市民の「知る権利」に奉仕するものとして、重要な社会的役割を担っていると考えられている。最高裁も「報道の自由は、憲法21条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なもの」と判示する。〉

〈さらに、後述するように個別の法律によって、一定の言論・報道機関を特別に保護したり優遇したりしており、その意味で言論・報道機関に対し制度として特別な地位を与えてきた。一般市民の知る権利を補完し、憲法の保障する表現の自由を総体として保障するためには、報道機関の報道が欠くべからざる存在である(後略)〉

 ただし、報道機関に与えられた特恵的な地位は「特権」ではないと、山田教授は以下のようにクギを刺す。

〈既存メディアに「公共的」であるがゆえに与えられてきた特恵的な地位を「特権」と勘違いし、またそうした優遇措置を守ることが目的化するとき、メディアの自己崩壊は始まる〉
拡大1972年3月以降、衆参両院は沖縄返還交渉の日米密約をめぐり紛糾。西山太吉記者の逮捕を受け、与野党双方から「国民の知る権利」「報道の自由」などについて政府見解を求める質問が続いた。写真は参院予算委員会で答弁前に打ち合わせる佐藤栄作首相(手前)と竹下登官房長官=1972年4月6日
拡大毎日新聞の西山太吉記者は、沖縄返還協定についての日米の密約情報を巡る外務省機密漏えい事件で1972年4月4日、警視庁に逮捕された。東京地裁が拘置取り消しを決定し、5日後に釈放。写真は釈放後の深夜に編集局長、政治部長とともに記者会見する西山記者=1972年4月、毎日新聞東京本社

 山田教授はさらに、メディアが公共的な存在であり続けるにはメディア自身に不断の努力が必要であり、市民社会もその過程を監視する力を持たねばならないという。情報の送り手と受け手の共同性がなければ、報道機関も存在価値を失ってしまうだろうとの指摘である。

 その観点に立てば、「取材中の記者が逮捕された」という事実のみをもって「不当」と断じても、市民社会の理解をストレートに得ることは難しいだろう。市民の知る権利を代行する報道機関も記者も、市民社会の一構成員である。「取材だから」という理由だけで法に抵触しそうな行為が免責されるであれば、およそ市民社会の同意は得られまい。

 本稿執筆時点(6月28日)では、北海道新聞社からは今回の事件について、記者の取材が建造物侵入容疑を上回る公益性、公共性を有していたとの説明はない。仮に同社が「公益性が上回っている」と判断しているのであれば、それをきちんと世に問い、場合によっては公判になっても主張し続ける覚悟が要るだろう。


筆者

高田昌幸

高田昌幸(たかだ・まさゆき) 東京都市大学メディア情報学部教授、ジャーナリスト

1960年生まれ。ジャーナリスト。東京都市大学メディア情報学部教授(ジャーナリズム論/調査報道論)。北海道新聞記者時代の2004年、北海道警察裏金問題の取材班代表として新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。著書・編著に『真実 新聞が警察に跪いた日』『権力VS調査報道』『権力に迫る調査報道』『メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層』など。2019年4月より報道倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会の委員を務める。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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