金融危機の不安が東京五輪への流れをつくった
2021年07月04日
2013年9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会で2020年五輪夏季大会が東京に決まった。東京都はなぜ、オリンピックを招致したのだろう。東京五輪招致委員会は「震災後のスポーツの力」や「成熟国でこその開催力」を掲げていた。こんなスローガン、どこのだれが理解できようか。東京開催の目的が判然とせず、IOC委員からも疑問の声が上がっていた。
招致活動では高円宮久子さんの優雅なフランス語と英語のスピーチや、滝川クリステルさんの日本の「お・も・て・な・し」という最終プレゼンテーション、そして安倍晋三元首相の「フクシマはアンダーコントロール」という発言。これらが東京選出の決め手になった。日本のマスコミの多くはこう書き立てた。
これに対して、憮然としたのが物知り顔の国内大手マスコミの「IOC記者」だった。いやそんなことはない、安倍首相のトップ外交や舞台裏でのオリンピック貴族独特のロビー活動が奏功したのだと、すぐさま反論した。ただ、トップ外交やロビー活動の中身には触れずじまい、いや、触れられずじまいだった。
一国の首相や大統領がIOC総会に顔を出し、オリンピック貴族らに愛敬を振りまけばオリンピックを招致できるのだろうか。招致関係者がオリンピック貴族のインナーサークルに入り込み、お友達をたくさんつくればオリンピックを招致できるのだろうか。
オリンピック招致の問題は、オリンピック貴族やスポーツ関係者だけを取材しても埒が明かない。結果、上滑りした記事で紙面を汚すだけだ。先日の記事で、オリンピックはIOCと開催地、そしてメディアとの共謀と書いた。
今回は、開催地が紡ぎ出すオリンピック・ビジネスのからくりについて述べていきたい。オリンピックの開催地を招致するのは「国」でなく「都市」だ。ここに東京五輪招致のからくりのすべてが凝縮されている。
招致段階で本来前面に出て招致活動すべき猪瀬直樹・元都知事の陰は薄く、安倍元首相のパフォーマンスが目立った。なぜか。安倍氏の姿はなにを意味したのか。単刀直入にいえば、「日本発の金融危機」という脅しだ。東京五輪の招致成功の決め手はこれに尽きる。
オリンピック招致を読み解くには、国際政治やグローバル経済の知識が無いと難しい。ここで東京五輪開催が決定した2013年当時のこれらの状況について簡単に触れてみよう。招致成功は、安倍元首相がこの年の9月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会にたどり着くまでの足取りにカギがある。
2013年といえば、リーマンショックの後遺症「静かなる世界恐慌」からの安定回復が、ロシアのサンクトペテルブルクで開かれたG20首脳会議の議題だった。この頃、欧州では幾度も金融危機がささやかれた。候補地の一つ、スペインのマドリードはこの影響で開催困難とされていた。
もう一つの開催候補地、イスタンブールのあるトルコとて状況は変わらなかった。経常赤字がGDP比7.9%に悪化するなど、財政上の行き詰まりが見えていた。しかも、政情不安によるテロの危機から開催を危ぶむ声もあった。
そして、東京とて経済的に安定した状況では決してなく、危機的な状況からようやく脱出という局面だった。この頃、日本の国債は際限なく積み上がっていた。1989年度末に161兆円だった累積国債発行額が、2013年度末は744兆円にまで達した。当時、日本が債務不履行(デフォルト)を起こせば、世界経済が破綻するとまで言われた。とりわけ発展途上国は戦々恐々としていたのである。
21世紀初頭、「悪・ムダ」の公共事業の象徴が道路公団だった。その民営化で猪瀬直樹氏が急先鋒として活躍していた。また、リーマンショックの翌年、2009年の総選挙では民主党が政権についた。選挙では公共事業について「バラマキ」や「古い自民党体質」だと批判し、「コンクリートから人へ」を掲げた。蓮舫議員がスパコン開発で「2位じゃだめですか」と放言して話題となった事業仕分けで、民主党は公共事業を徹底的に削減していった。
公共事業という財政政策は建設業など特定の業種に恩恵が偏る傾向にあり、増税に結びつくことも多い。これを生み出す国土交通省は諸悪の根源のような扱いを受けた。そして、公共事業の縮小は財政規律を重んじる財務省が暗躍した。ただ、これが行き過ぎてしまったのだ。
2010度の日本政府の公共事業関係予算は5.8兆円で、2001年度の9.4兆円からすると約4割も削減された。当時の自民党国土交通部会は「公共事業関係予算の削減は、既に限界に達している」と決議文を出したほどだ。実際に国内の建設業界は疲弊しきっていた。
たしかに、公共事業の多くは政治家の利権が絡む。ただ、国の経済政策として重要な意味を持つ。経済政策は大きく分けて財政政策と金融政策の2つがある。これらを同時に実施することによって相乗効果が生まれ、その効果が大きくなる。
政権を奪還した安倍元首相は2012年、経済政策「アベノミクス」を打ち出した。これはマイナス金利をも容認する、無制限の量的緩和という金融政策を柱とした。一方、大規模な公共事業を柱とする財政政策のカードは切りにくい状況だった。
財務官僚はアベノミクスの財政政策として「オリンピック」を考えついた。道路でなく、スポーツ施設であれば国民からの批判をかわせる。日本人の多くが信仰を寄せる「オリンピック」に紐づければなおさらだ。政治家にとってもオリンピックという錦の旗は、利権ビジネスの隠れ蓑になりえる。
オリンピック招致では政治家と官僚の思惑が一致した。建前では公共事業を批判する野党もこれに乗った。2016年大会のオリンピック招致では、国の関与は限定的だった。2020年大会では一転し、オリンピックを国家プロジェクトとして格上げし、首相が先頭に立ったのだ。
サンクトペテルブルクのG20会場にたどり着いた安倍首相は、その場で東京のオリンピック成功が世界経済破綻から逃れる唯一の道と臭わせた。この頃、東京五輪招致成功の情報が、これを管轄する文科省関係でなく、財務省関係から盛んにリークされていた。
国家運営の危機に立つ一国の首相にとって、G20首脳会議とIOC総会のどちらが重要かといえば答えは自明だ。2013年にブエノスアイレスで開かれたIOC総会当時、アルゼンチンは債務不履行(デフォルト)の危機が差し迫っていた。実際、翌年にそれが現実になった。
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