「孤立」が子どもや若者を苦しめる。だから私たちは「居場所」をつくる(上)
コロナの時代、貧困と格差が拡大する中で
青砥 恭 NPO法人 さいたまユースサポートネット代表
子どもの「共生態」としての学校
演出家の竹内敏晴はコミュニケーションを「ともに分かつ」関係性とした。さらにコミュニケーションを「情報伝達のための言語」と「人のいのちの表現としてのなまな言葉」に区別した。子どもたちはもともと「なまな言葉」の世界に生きている。子どもたちは身体ごと互いに息づかいを感じ、子どもの目で世界を見ようとする。

作家・演出家の故・竹内敏晴さん
そこで大切なことは身体を丸ごと感じ取れる「じか」の距離である。竹内は、人間のコミュニケーションは、相手はわたしの身体の延長であり、わたしは相手の身体の延長であって、その関係性を「共生態」と名付けている。そこで互いの魂が触れ合う関係性が生まれるとした。「共生態」としての身体とは響き合う体であり、応え合うからだということになる。そんな関係性が可能なのは「じか」の距離が保たれることによるという。
竹内の紹介を長くしたが、子どもたちや若者たちに限らず、人の求める関係性、コミュニケーションは情報伝達のための記号化した言語ではなく、人のいのちの表現としての言葉なのである。
「いのちとはからだ全体がいきいきと息づいている有様をいうのであって、……(いのちを大切にするということは、)子どもと子ども、子どもと教師がともに息づかいを共にし、その生きがい、希望、悩み、その人格を、互いに尊重し合い、人と人としての信頼を持つ関係を築き合う」ということになる。

山極寿一・総合地球環境学研究所所長=2021年4月2日、京都市北区
人類学者の山極寿一は、「人間社会では、複数の家族による生活の中の多様な「体験の共有」を背景につくられた「共通の記憶」と「感情の共有」によってコミュニティは形成される」という。
本来は家族や学校でこのような能力や関係性は育っていく。しかし、それを家族や学校に求められないような環境の中で生きる子どもや若者たちには、それに替わる居場所を地域につくり続けるしか選択肢はない。
【参考】
(竹内敏晴 『出会うということ』藤原書店)
(山極寿一他 『こころはどこから来て、どこへ行くのか』岩波書店)
「たまり場」で出会った若者たちの姿
「毎週、無料で学習支援」のチラシを配ると
2011年にさいたまユースを作ったが、高校や大学で教師をしていたこともあり、たくさんの学生たちがボランティアとして参加していた。その中の一人が「たまり場」と名付けた居場所をさいたま市内に創設した。
この「たまり場」には「交流」と「学習」の2つのスペースがあり、人とのコミュニケーションを求める若者は「交流」スペースを、人の輪の中に入るのがむずかしい若者や学び直しをしたい若者は「学習」スペースを利用した。その日の気分で部屋を移動してもかまわない。どこかで他者と交わることができるようになればいいのである。
さいたま市内の京浜東北線の与野駅近くの公共施設で活動を始めたが、当初の利用者は、不登校の生徒が多い公立の通信制高校生や近くの日本語学校に通っていた外国人の若者たちだった。通信制高校では校長の許可をもらい、スクーリング帰りの生徒に「毎週土曜日、無料で学習支援をします」というチラシを配った。