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「孤立」が子どもや若者を苦しめる。だから私たちは「居場所」をつくる(上)

コロナの時代、貧困と格差が拡大する中で

青砥 恭 NPO法人 さいたまユースサポートネット代表

「少年ホームレス」だった剛志君

 「本当にただで勉強を教えてくれますか?」と聞いてきたのが剛志君(仮名、以下同じ)だった。

 剛志君は当時、建設現場の日雇いで働いていたが、そこで日常的に暴力を受け、それから工事現場の警備職に就いたり、いろいろ仕事を変えながら、親元から離れ自活していた。

 「この警備会社で36時間連続勤務を命じられたが、どうすれば」と相談を受けたこともある。

 「断ればどうなるの?」

 「クビになります」

 私はその時、悩みながら、「体に気を付けて、勤務が終わったら一緒に飯食いに行こうよ」としか言えなかったことを思い出す。

 剛志君の家族は複雑で、職人だった父親は早くに死んで、母親は違う男性と暮らしていた。小学生のころから荒れていて、高学年から授業には出ないで、学校周辺をうろつく子どもだった。教師もたぶん、荒れる子で面倒だったのだろう、放置されていて、その後の中学もほとんど「不登校」だった。だから学力は非常に低かった。

 中学を「卒業」して間もなく、自宅にも居場所がなくなり、剛志君は「少年ホームレス」になった。2年ほど、東京や千葉などの公園が彼の住まいになっていた。「おじさんホームレス」と仲間になって、どのコンビニに閉店後パンなどがあるか、どうすれば寒さから身を守ることができるか、公園のトイレで体を洗う方法などを教えてもらったという。仲良くなって、そんな話をよく聞いた。

 「たまり場」に来始めて間もない頃の剛志君の目標は高校を卒業することだった。それから1年経ち、「たまり場」で仲間ができ、学生たちとも親しくなった。高校では生徒会活動も始めていた。多くの人とつながりを持つことで、刺激も受け、ある頃から、彼は公務員になりたいと言い始めた。たまり場に来ても、必ず、学習スペースに来て、高校のレポート課題をシニアボランティアのNさんたちに教わって張り切っていた。楽しそうに勉強していた。

 ただ、小学校の高学年から学習から縁遠い生活をしていた剛志君の学力と、公務員という目標との乖離はあまりに大きかった。しかも人との関わりをつくることも不器用な若者だった。学校での仲間づくりの体験が少なすぎたのである。

 ある時から、生徒会内部や学校内の年下の生徒たちとぎくしゃくし、ある年上の女性と親しくなったこともあって、もっと働かざるを得なくなり、「たまり場」に来る回数も減っていった。その女性と地方へ行ったが、いつからかその女性とも別れ、ひとりで暮らしているようだ。暮らしが成り立っているのだろうか。時々、電話があったが、この数年かかってこなくなった。

たまり場で行きたいところを募集したら、公園や動物園、自然豊かなところなどの案が寄せられた。その中から、会議でさらに詰めていく=筆者提供拡大たまり場で行きたいところを募集したら、公園や動物園、自然豊かなところなどの案が寄せられた。その中から、会議でさらに詰めていく=筆者提供

祖母のパート、自身のアルバイトで暮らした里美さん

 「余裕がないです。自分の体を張ってでもお金がほしい」、こう話していた20歳になった里美さんは、両親の離婚後、母親は去り、父は地方へ働きに出たまま連絡があまりなく、祖母と暮らしながら祖母のパート収入と自分のアルバイトで暮らしを支えていた。本人も弟も中学から不登校で、公立の通信制高校に通っていたが、卒業はできそうもない。きょうだいを支えるのは祖母一人だ。里美さんもアルバイトで忙しくなり、学校には通えなくなっている。

父の自死、母による虐待を経験した絵美さん

 他にも「たまり場」に通っていた忘れられない若者がいる。公立の通信制高校の生徒で、「学校で学習支援のチラシを見ました。ただで教えてもらえるんですか」と与野駅の近くにあった6畳1間の事務所に電話をかけてきた絵美さんだ。やはり、中学は不登校で、高校だけは出たいと話していた。

 絵美さんは父親が自死した後、母親の虐待もあり、児童養護施設で暮らした経験のある10代の女性だった。虐待の後遺症は大きく、自殺願望の強い女性だった。夜中に長い電話をかけてきて、何度か自殺を思いとどまらせたこともあった。電話の向こうで泣きながらつらさを訴える声を思い出す。その後、なんとか保育の専門学校に通い、保育士さんになったという噂を聞いた。

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筆者

青砥 恭

青砥 恭(あおと・やすし) NPO法人 さいたまユースサポートネット代表

島根県松江市生まれ。1983年から埼玉県で県立高校の教諭。その後、埼玉大学や明治大学で教育学を教えた。2011年7月に特定非営利活動法人さいたまユースサポートネットを設立。その後、さいたま市で学習支援、居場所づくり、就労支援など若者たちの包括的支援のネットワークと地域拠点をつくる活動をしている。2016年からは、「全国子どもの貧困・教育支援団体協議会」の代表理事も務める。著書に『日の丸・君が代と子どもたち』(岩波書店)、『ドキュメント高校中退』(筑摩書店)、『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』(編著 太郎次郎社エディタス)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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