組織の後ろ盾や社会的地位のない若者・女性を利用することで失われるもの
2021年07月14日
ここ数年、「慰霊の日」が近づくと頭を悩ませることがある。大学で教えているゼミの学生と、フィールドワークの一環で平和祈念公園に行くのだが、ある問題に毎回苦慮するのだ。
それは一言でいうと、メディア・SNS対応だ。
あらかじめ断っておくと、通常の取材に対しては私も学生もいつも快く協力している。問題は、許可をとらずにイベントの当事者、参加者でもない学生を無断撮影する行為が絶えないことだ。
去年と今年は、慰霊の日を避けて平和祈念公園を訪れたにもかかわらず、学生が無断で撮影され、知らないうちに新聞記事やインターネット上に写真などを掲載された。
イベントの本質から外れた、若者とりわけ女性に注目した報道によって生じる問題は、慰霊の日だけのものではない。これまで沖縄で見てきた、「若者」「女性」を消費する報道や選挙活動のあり方を、この機会に一度振り返ってみたい。
6月23日は、太平洋戦争末期の1945年3月から国内で展開された地上戦である沖縄戦において、日本軍の司令官が自決し、組織的戦闘が終了した日とされる。沖縄県内では「慰霊の日」と呼ばれる祝日であり、毎年、糸満市の平和祈念公園で県主催の慰霊式典が営まれる。
県民の4人に1人が亡くなったとされる沖縄戦では、行方不明者や遺骨が遺族のもとに返らないままの死者が多い。そのため慰霊の日には、平和祈念公園内の国籍、敵味方を問わず犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎」に、墓参りの代わりに大勢の遺族が集まる。
去年のゼミでは、慰霊の日の前日に公園を一周した。公園じたいが沖縄戦最後の激戦地だった場所であり、歩いて戦況を追体験することが目的だった。
その日の深夜、Yahoo!ニュースで時事通信が撮影した学生の画像を発見。すぐさま那覇支局に電話をかけて抗議したが、時すでに遅く、翌朝の東京新聞にその写真が使われた。女子よりも男子の数の方が多かったにもかかわらず、「平和の火」を眺める女子たちを切り取り、顔が分かる状態で正面から写した写真を遠くから撮られた。周囲には人気がなく、暑くて一時的にマスクを外したところを狙われていた。
「敵」はメディアだけではない。一般の人々によるSNS投稿でも起こる。
現在、米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の代替施設建設のため、日本政府がキャンプ・シュワブ沿岸(名護市辺野古)で埋め立て工事を行っている。沖縄県が2015年、県外の土砂の持ち込みを規制する条例を成立させると、政府は2020年、埋め立て工事に使う土砂の採取候補地に、沖縄戦最後の激戦地だった沖縄島南部の糸満市、八重瀬町を追加する。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の代表、具志堅隆松さんは、埋め立て工事に戦没者の遺骨が残る南部の土砂を使わせないよう県に訴えるため、今年の慰霊の日に向けて、県庁前の広場と平和祈念公園で5日間のハンガーストライキを行った。
私は慰霊の日の前々日、メディアが夕方のニュースや翌日の朝刊に向けて引き上げた時間帯を見計らって、学生とともに平和祈念公園を訪れた。今年のゼミ生は女子が圧倒的に多いので、マスクも決してとらず、念には念を入れての行動だ。
具志堅さんの心身の負担にならないよう、県に渡す署名だけして帰る予定だったが、1時間以上かけて来た地元の若者7人に具志堅さんの方から声をかけられ、約2時間の対話に応じられた。話に夢中で私も学生も気づかなかったが、周囲にいたらしい一般の人々が、いつのまにかSNSに学生の後ろ姿の写真や彼/彼女らの発言を投稿していた。ドキュメンタリー制作会社である「森の映画社」にも、社名や目的を知らされないまま映像を記録されていた。
後日、SNS上の投稿はすべて削除してもらい、森の映画社からは映像使用時に事前の許可をとる約束を得たが、同社の女性が「平和祈念公園に行ったら撮られることぐらい分かるでしょう」と、電話口で言ったのはショックだった。
慰霊の日は遺族が沖縄戦で失った家族に会いに行く機会であり、主役は当然ながら遺族である。なぜ若い女性の写真が必要なのか。
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