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IOCも組織委もトンズラし、負の遺産が納税者にのしかかる~利権まみれの「公共事業」(下)

潤う五輪貴族と一部スポンサー、使途を検証できない無責任組織

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

「利権まみれの『公共事業』(上)」はこちら

 2013年11月、トーマス・バッハ氏が国際オリンピック委員会(IOC)会長に就任して初来日した。都内で記者会見を終えた後、真っ先に向かったのが電通本社だった。一階の大ホールで開かれたIOC主催のレセプションには、当時の下村博文文部科学相、森喜朗元首相、猪瀬直樹都知事を交えて財界関係者約200人が参席した。この席でバッハ会長は資金的な協力を強く呼びかけた。筆者はこの席に米国五輪専門メディアAround The Rings(ATR)記者として参加した。

 バッハ会長は1976年のモントリオール大会の金メダリストとして知られるが、1985年にはIOCと関わりの深いアディダスの国際担当となり、その後はシーメンスなどドイツの大企業の顧問弁護士や役員として高額な報酬を得てきた。ATRのエド・フーラ編集長をはじめIOC周辺を密着取材するジャーナリストによれば、バッハ会長はオリンピアンの仮面をかぶった生粋の敏腕ビジネスマンだ。

 IOCの会長職は年収3000万円程度だ。だがIOC参加の競技団体の役員や企業顧問も兼任しており、これらからの収入は非公表だ。週刊文春の報道によると、バッハ会長が独シーメンス社の顧問だった際、年間約5300万円顧問契約料のほか、1日約66万円もの日当も手に入れていたとされる。この日当が同社の監査役会で問題視され、バッハ会長は解任されたそうだ。バッハ氏個人がオリンピックがらみで築いた財産は500億円にも達するという。

2013年11月20日、レセプションで当時の竹田恒和・JOC会長(右)と握手するトーマス・バッハIOC会長(中央)=東京都港区、杉本康弘撮影 2013年11月20日、レセプションで当時の竹田恒和・JOC会長(右)と握手するトーマス・バッハIOC会長(中央)=東京都港区、杉本康弘撮影

 アディダスはというとオリンピックとの関係は長く根深い。アディダスは1982年、スイスで電通と共同で、国際スポーツ・マーケティング代理店のインターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)を設立した。このISLが不法利権ビジネスの巣窟だと、スポーツ界やビジネス界にその悪名が轟いている。IOCや国際サッカー連盟(FIFA)、国際陸上競技連盟(IAAF)と密接な関係を構築し、オリンピックやサッカー・ワールドカップの放映権管理などで大きく成長した。その裏でFIFAのアヴェランジェ元会長ら幹部に多額の賄賂を送っていた。こうした不正行為が明るみになりISLは2001年に破綻した。

 だが、その残党がスポーツ・ビジネス界に散らばり、同様の不正行為を繰り返している。その一角が東京五輪招致時のIAAFのディアク元会長の息子への贈賄事件だ。この息子はISLの残党が作った企業に関与していた。しかもこの事件はISLと関係が深かった電通の高橋治之元専務が黒幕だったといわれる。高橋氏は現在、東京大会組織委員会の理事職にある。

 1990年代初頭、『The Lords of the Rings (五輪の貴族たち)』(邦題『黒い輪』)というサマランチ元会長を中心にしたIOC内部の乱脈運営と腐敗ぶりを暴いた書籍が世界的に話題になった。それから約30年たった現在もIOCの金満、汚職、傲慢の体質は何ら変わりない。

世界陸連元会長でIOC委員だったラミン・ディアク氏世界陸連元会長でIOC委員だったラミン・ディアク氏

戦時中の「国家総動員体制」「情報統制」と映し鏡

 かつての日本は、破滅の道を歩むと分かっていても突き進んでいった。これは第二次世界大戦中の「二正面作戦」と「国家総動員体制」、そして「情報統制」によったことは周知だ。当時の日本は脆弱な国力で日中戦争と太平洋戦争の両戦線を展開した。国民生活に犠牲を強いて、学徒動員までして戦力を補強した。国家とマスコミが結託して国民を欺いた。馬鹿げているというしかない。

 この映し鏡が東京五輪である。いまの日本は東日本大震災の復興事業と東京五輪の開催という「二正面作戦」を展開している。東京五輪開催は森善朗大会組織委前会長の「オールジャパン体制で臨みたい」との号令のもと、学生の大会ボランティア動員のみならず、コロナ禍で子供たちに「学校連携観戦」を強いる。国民はIOCのバッハ会長から犠牲を払えと強要された。まさに戦時中の「国家総動員体制」だ。

会見に臨むIOCのトーマス・バッハ会長=年7月17日、東京都江東区会見に臨むIOCのトーマス・バッハ会長=年7月17日、東京都江東区

 しかも、朝日、読売、毎日、日経、産経、北海道の各新聞社は大会組織委のスポンサーとなった。これに加え、五輪取材記者を含めた大手のマスコミ各社は大会組織委の内部組織、「メディア委員会」に社員記者を送り込んでいる。公権力とそれを監視すべき報道機関が利益を共にして、一体化した姿だ。これも戦時中の「情報統制」にほかならない。

 大会後は「負のレガシー」になると分かっていても、「オリンピック」という錦の御旗を掲げて、競技場や関連施設、道路を次々に建設する。さらには、どさくさに紛れてオリンピックに無関係のものまである。

 新国立競技場の建設費高騰問題では、その責任主体は文科省管轄下の特殊法人、日本スポーツ振興センター(JSC)だった。新国立競技場建設にあわせて、この本部が入る日本青年館ホールの移転費用が税金で賄われたのはこの一例だ。ちなみに新国立問題で辞任に追い込まれたJSCの河野一郎理事長はその後、大会組織委副会長に横滑りしている。

 五輪会場整備の管轄は文部科学省になる。その族議員の首領が森喜朗元首相だ。招致決定後、大会組織委の会長に収まったのはこのためだ。ただ、文部科学省に大規模な公共工事を任せるのは難しい。公立学校の建設費は20億円程度。文科省はこの程度の仕切りしかできない。新国立競技場の失敗の根っこはここにある。

招致委と組織委の形態そのものが無責任の温床

 ここで血税の浪費甚だしい五輪ビジネスのからくりの本質について見てみよう。これは招致委員会と組織委員会という組織そのものにある。これらの特徴は、1)情報開示と説明責任という組織の透明性が低い民間団体であること、2)招致の主体である都市との関係が曖昧で、内部の責任の所在が不明確であること、3)そして、その役目を終えると組織自体が消滅してしまうことーの3点に要約される。五輪招致や五輪閉幕の後に問題が発覚したとしても、その責任を問われにくい、いや実際は問われない仕組みになっている。

 招致委員会は任意の民間団体という形態であるため、情報開示や文書保管がずさんである場合がほとんどだ。長野五輪の招致委員会はIOCへの過剰接待や9000万円の使途不明金を含む帳簿を解散後に焼却処分した。また、東京五輪の招致委員会であるNPO法人「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」は9億円にも上った「海外コンサルタント料」の帳簿を消失した。結局、これらの〈事件〉は迷宮入りした。

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