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メダルラッシュとともに、すべてを忘れてよいのか

「犠牲の祭典」の真の姿を、冗漫な開会式に見た

小田光康 明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所所長

 2021年7月23日午後7時。東京五輪の開会式が開かれる新国立競技場の記者席に、私はようやく到着した。入場門がある五輪博物館近くは、選手を歓迎する五輪ファンとその警備を担う警察官であふれた。自衛官による厳重なセキュリティ検査を受けて、ようやく競技場内に入った。日は落ちかけていたが、無風状態で蒸し暑い。マスクを着用しているからなおさらだ。

 その13時間前、私は東京ビッグサイト(東京・台東区)にあるメイン・プレス・センターの国際オリンピック委員会(IOC)のチケット・オフィスの列に並んでいた。再配分される先着順の五輪開会式のチケットを手に入れるためだ。開催準備取材の総決算であると同時に大会の行方を占う開会式をどうしても取材したかった。気をもみながら待ちわび、午前11時にようやく入手した。

 その記者席はメインスタンドの下層階から貴賓室がある上層階まで配置されていた。私はこの祝典を最接近して観察しようと、フィールド最前列に陣取った。暗闇の中、カウントダウンが始まった。そして午後8時ちょうど、会場全体を照射する閃光と共に2020年東京五輪の開会式が始まった。

無観客で行われた開会式で選手たちが入場し、花火が上がった=2021年7月23日、国立競技場、樫山晃生撮影 無観客で行われた開会式で選手たちが入場し、花火が上がった=2021年7月23日、国立競技場、樫山晃生撮影

マスク姿の選手たち、空席の観客席

 会場を見回すと観客で覆い尽くされているかのように見える。まるで観客席から歓声が聞こえてくるようだ。会場のあちらこちらから照射される光が交錯する中、目をこらしてみると、白、薄緑、グレー、深緑、濃茶の座席がまだら模様に配置されているだけだ。目の錯覚を利用して、空席を目立たないように施工された。この座席が五輪開催のペテンを象徴しているかのようだった。

 アトラクションが約1時間続いた。ただ、私の席からはパフォーマンスを繰り広げるピクトグラムの青い人間の姿は見えない。過去から現在までの五輪の栄光をテーマにした映像も見えない。会場でなにが起こっているかなど想像もつかない。ただ、人垣が右に左にうごめいているだけだ。響き渡る重低音の音楽とめまぐるしい光の演出だけが脳裏に焼き付く。

 このあと、いつの間にか、競技場の四方から薄いピンクや緑色のマントを着た踊り子たちが会場全体に散らばった。よく見ると、みんな帽子をかぶり、マスクをしている。そして暑苦しいマントも纏っている。すると、指定の場所に立ち、踊り始めた。

 踊り子たちはマスクをしてマントを着て、踊り続ける。手を振り笑顔で、踊り続ける。

 その直後、選手の入場行進が始まった。ただ、私の席からは国旗を立てて選手が行進していく姿が遠目に見えるくらいだ。ギリシャを先頭に五輪難民選手団が続く。トンガの裸体の旗手の姿は会場に設置された大型モニター越しに知った。205国・地域と難民選手団から約6000人が行進した。新型コロナウイルスの感染対策のため、互いに2メートルの距離をとった。とにかく長い。とにかく時間がかかる。

観客のいない客席に向かって手を振る出演者たち=筆者撮影観客のいない客席に向かって手を振る出演者たち=筆者撮影

 開会式は世界から選手が一堂に会し、平和裏に行われる五輪を祝う式典といわれる。ここで選手が友情、連帯、そしてフェアプレーを誓い合う。開会式の入場行進を待ちわびている選手は大勢いる。ただ、五輪か開かれるたびに繰り返される、この単調で間延びした行進に、少なからずの選手から悲鳴が聞こえてくるようだ。

遠すぎるパフォーマンス

 すでにIOCが思い描くこの開会式の理想は形骸化している。通常だと、翌日に試合がある選手は開会式を中座する。コンディションを整えたい選手や大会期間後半に出場する選手は開会式を棄権することはざらだ。世界から集まった選手が同じ屋根の下で一時を過ごすという理念の選手村とて同様だ。プロ選手の多くは選手村には滞在せず、都内の高級ホテルに宿泊する。

 五輪はどこに向かって行進しているのだろう。五輪人気の維持高揚とIOCの利潤最大化を目的に、無軌道に競技種目を増やしてきた。その結果がこの開会式だ。巨大化しすぎた五輪で、これまで通りの開会式を実施するには無理がある。

 私の背後には机付きの記者席があった。

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