赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター
1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
五輪開会式で使われようと使われまいと、すでにゲームの価値は世界が認めている
オリンピックが開幕した。直前にゴタゴタのあった開会式も、なんとか形になって無事決行された。
僕自身は開会式をそれほど見る気はなかったものの、少し前に聞いた「開会式のリハーサルで、国民的RPG『ドラゴンクエスト』の曲がかかっていた」という情報が気にかかっていたので、テレビの二画面表示を使って、開会式の動向はチェックしていた。ちなみにメインで見ていたのは、楽しみにしていたテレ東の大食い番組である。
そして各国の選手の入場曲として、ドラゴンクエストの「序曲」を初めとした様々なゲームの曲がメドレー方式で流れたのである。
Twitterには開会式にゲーム音楽が流れることに様々な感想が流れた。そうした中で僕が気になったのは「ゲーム音楽が世界に誇るべき文化として認められた」などと喜んでいる人たちの声であった。オリンピックの開会式にゲーム音楽が使われることは、それほど喜ばしいことだったのだろうか?
まず、近年のesportsの盛り上がりを受けて、オリンピックでもesportsを種目として採用する動きがある。
今年は東京2020開幕に先立ち、IOCの主催で「Olympic Virtual Series」が開催され、コナミの「パワフルプロ野球2020」SIEの「グランツーリスモ」といった日本でもおなじみのゲームを含む5種目で熱い戦いが行われた。そうしたことからオリンピックでゲームのコンテンツが扱われることは自然な成り行きであったと言える。
僕はそうした流れを知っているからこそ、ゲーム音楽を開会式に使うことに違和感はなかったし、逆に言えば驚きもなかった。
すでにゲームは世界的に文化の1つとして認められており、オリンピックの開会式に使われようと、特に驚くようなことではなかったはずである。
なので、Twitterで「ゲームが世界に認められた!」と言っている人たちが、なぜそれほどまでに「ついにゲームが認められた!」と盛り上がっているのかが、まったくピンとこなかった。
では、Twitterなどで「ゲーム音楽が世界に誇るべき文化として認められた」と喜んでいた人たちは何を喜んでいたのであろうか。
喜んでいる人の中に「これまでゲーム音楽は見下され、迫害されてきた」というようなことを描いている人が多いことに気がついた。つまり彼らは、かつてはゲームやその音楽はオタクメディアとして見下されて来たが、それがようやく世界に認められたかのような価値観を有しているのである。
しかしそれは本当だろうか?
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